戦後20年足らずで、日本が当時世界最速の新幹線を走らせることができた理由


戦後20年足らずで敗戦国日本に新幹線が開業された衝撃

日本の高度経済成長を象徴するものと言えば、新幹線やと思うのです。

1964年の東京オリンピック開催の直前、東京〜大阪間に東海新幹線が開業しました。


東京〜大阪を4時間で結ぶ超高速鉄道は当時、世界一の運行速度を誇っていました。

また、踏切など一切なく、ATC(自動列車制御装置)やCTC(列車集中制御装置)など、最先端の設備を備えており、日本の技術力を世界に示したものです。


ちなみに新幹線は現在、開業して半世紀が経ちますが、列車の脱線や衝突による死亡者はまだ出していません。新幹線の驚異的な技術の高さが伺えます。

それにしても、新幹線が開業した昭和39年と言えば、終戦からまだ20年も経っていない頃ですね。しかも、工事が開始されたのは、昭和34年であり、日本中が焼け野原になってから、わずか14年で新幹線の着工をしたことになります。そして、着工から5年で開通しているのです。

いくら戦後の日本が奇跡の復興を遂げたとはいえ、これはあまりにも早すぎと思いませんか?


実は新幹線の素早い建設には理由がありした。新幹線は、戦前から既に計画されていて、一部は着工されていたプロジェクトだったわけです。

『弾丸列車計画』日本では戦前から新幹線を走らせる計画がにあった

戦前の新幹線構想は、弾丸列車計画と呼ばれ、東海道本線山陽本線にこれまでにない高速鉄道を走らせるというものです。


当時、既存の東海道山陽本線本線だけでは、増え続ける輸送量を処理しきれずに、パンク寸前になっていました。東海道山陽本線は東京と関西、九州を結ぶ日本の大動脈であり、ただでさえ輸送量は多くありました。


それに加えて、日本は朝鮮を併合し、満州にも植民地を持つようになり、大陸への莫大な輸送も生じていました。日本〜満州間の旅客量は、昭和6年に30万人でしたが、昭和12年に52万人、昭和14年には90万人を超えています。

そこで昭和13年に、東海道山陽本線とは別に広軌道の鉄道を走らせる『弾丸列車計画』が打ち出されたのでした。

それまで日本の鉄道は、狭軌と呼ばれるレールが主に使われていました。国鉄のレールの幅も1067mmであり、世界の標準である1435mmよりもかなり狭かったそうです。日本は国土が狭いので、鉄道用地が取得しやすいように、レールの幅が狭く設計されていたのでした。


しかし、レールの幅が狭ければ、必然的に車両も小型になってしまいます。小型の車両では、エンジンも小さくなるので、速度も遅くなります。そこで、弾丸列車計画では、レールの幅を広くして、世界の標準軌道である1435mmに合わせ、超高速の鉄道を走らせようということになったのでした。


この計画は鉄道省や軍部による何度かの審議の後、昭和15年に実行が決定しました。


建設計画では、『時速150km、軌間1435mm、車両長さ25m、ホームの長さは500m、1日に片道42本の旅客列車を走らせる』という明確なコンセプトがありました。また、東京ー大阪間は4時間、東京ー下関間は9時間で結ばれる予定であり、これらの数値は、新幹線が開業した時と非常によく似ている部分が多いのです。


鉄道省は、戦前に用地の一部を既に取得しており、トンネルの堀削などの工事の研究も行われていました。また、東山トンネルなど、一部の工事は既に着工されていた。それらは新幹線でもそのまま流用されていました。


このように、以前から建設が少しずつ進められていたことが、新幹線の建設を早めた大きな要因になるわけです。