イギリス貴婦人は朝からビールを飲んでいた

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※ウィリアム・ホガースの対照的な二つの作品 左:ビール街、右:ジン横丁

イギリス中世で身体に良い飲み物と信じられていたビール

17世紀のイギリス人は、紅茶ばかり飲んでいたわけではありません。紅茶と並んでビールが人気だったことは、当時のパブの人気ぶりからも分かると思います。

歴史を少し遡ってみると、中世の時代からビールは盛んに飲まれていました。大麦の麦芽を水に入れて煮て、それを漉した液体に酵母を加えて発酵させれば出来上がりです。修道士にはビール造りの名人でしたし、農民たちもそれぞれ家庭で作っていました。生水は不衛生で身体に悪いからと、代わりにビールを飲むことも多かったそうです。

13世紀後半から14世紀にかけて、宿屋を兼ねたインとともに、居酒屋の一種エールハウスが隣接し、庶民の娯楽の場になりますが、賭博や売淫、犯罪の舞台にもなって衰退します。代わりに台頭してきたのがヴァーンと呼ばれる居酒屋で、数的にはエールハウスには及ばないものの富裕層をターゲットに成長し、16世紀から17世紀に最も栄えます。当時はワインだけを提供していましたが、後にビールも販売するようになりました。


宮廷でもビールは大量に消費されたようです。ビール消費はヘンリ八世およびエリザベス一世の時代が特に目立っていて、宮廷の貴婦人らが朝食に1ガロン(約4.5L)のビールを飲み、同じく使用人にも一ガロンないし半ガロンが供されいたそうです。エリザベス一世は酒癖で朝から一クォート(約1.13L)のビールを飲んでいたそうですが、乱れることは決してなかったそうです。

そもそもイギリス人にとってビールは栄養補給のための一種の食事であり、質実剛健、頑強な身体を作るにふさわしいものとされていました。「フランス人のようにワインばかり飲んでいては堕落して享楽生活に溺れてしまう」と考えられ、ワインの輸入が制限されていたほどです。

「肉体に良いビール」は歳の肉体労働者によっても大量に飲まれていました。18世紀、ロンドンの港湾労働者は、一日に六パインド(約3.4L)も飲んでいたようです。

貧困層が一日の疲れ、辛さを忘れるために溺れていったジン

さて、イギリス人にとって「良い酒」の代表がビールであったとするなら、「悪い酒」の代表はジンでした。ジンは主にオランダから輸入され国内でも蒸留されましたが、粗悪なものが多かったのです。しかし、悪い酒は巷で大流行しました。貧者や肉体労働者たちが一日の疲れや日々の辛さを忘れるには、アルコール度数が高くて酔いやすく、しかも安価な酒が求められたのです。その需要にこたえ、不潔で下品なジン・ショップがあちことらに作られたのです。

当然、飲み過ぎで健康を害したり、ジン・ショップが悪所に様変わりしたりと、社会問題になりました。1736年に「ジン取締法」が発布されたのは、そのためでした。1740年~1760年代にも、ジン・ショップへの政府の干渉・規制が強化されました。その後も19世紀初頭まで多くの法律が成立し、あるいは協会が設立されて、ジンの弊害を防ごうとしました。

ロンドンで生まれ育った風刺画家ウィリアム・ホガースには、「ビール街」と「ジン横丁」という対照的な作品があります。

前者は国王ジョージ二世の誕生日をビールで祝う人々を描き、様々な職業を営むロンドン庶民の活気に満ちた明るい生活が描かれています。対して、後者はジンの大量飲酒によって堕落し疲弊する庶民の、暗く悲惨な光景を描き出しています。ジンに酔いつぶれる者、中毒する者、まさに地獄の飲み物に他ならないことを訴えかけているようです。

お気に入りのイギリス・ビール ~London Pride~

ロンドンの誇りと言う名のロンドンを代表するエールビール。お気に入りといっても、銘柄を言わずにエールを頼むとほとんどこのビールが出てくると思います。イギリスに旅行に行って最初に入ったパブでこれを飲んで感動したことを覚えています。

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

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