井伊直虎だけではない、強く美しく戦国時代を生きた戦国姫

龍潭寺境内の井伊氏一族の墓。左から直政、おひよ、直親、直虎、祐椿尼

井伊直虎だけじゃなく、武闘派の戦国女子たち

大河ドラマ「おんな城主・直虎」も、高橋一生演じる小野政次が処刑されて、いよいよ佳境に差し掛かっていますね。

「おんな城主・直虎」のヒロイン・井伊直虎は、戦国時代に男の名前で家督を継いだ「女城主」です。遠江の小さな国の姫が、戦のたびに井伊家の当主が殺され、残された姫が戦国を生き残るための知恵を絞り、必死に家の存続をかけて生き抜くストーリです。

この井伊直虎の奮闘がなければ、徳川四天王にも数えられた井伊直政や江戸時代後期の大老井伊直弼も現れませんでした。

井伊家存続のため、井伊家家臣に裏切り者を最期まで演じさせた小野政次を自らの槍で処刑するシーンは胸にグッとくるものがありましたね。

今日は他にも美貌と武芸で戦国の世を逞しく生き抜いた女性たちを紹介します。彼女たちの中から次の大河のヒロインが出てきたりしませんかね?

甲斐姫

甲斐姫も奮闘し、石田三成率いる豊臣軍を凌いだ忍城
映画「のぼうの城」のヒロインで榮倉奈々が演じていましたね。井伊直虎並みに有名な戦国姫です。

甲斐姫は武蔵野国忍城の城主・成田氏長の長女で、東国無双の美人と称えられる程の美貌を誇りました。

1590年に豊臣秀吉小田原征伐を開始すると、関東には全国各地の大名に率いられた大軍が押し寄せ、忍城にも石田三成の軍勢2万3000人が迫りました。対する忍城の戦力は、農民たちも含めても3000人程度でしたが、湿地に囲まれた忍城は攻めにくく、城内の士気も高かったためなかなか落城しませんでした。

甲斐姫も騎乗して出撃し、敵を討つとともに味方を鼓舞して回ったと言われています。その華麗な戦いぶりに魅了された石田軍の三宅高繁は、彼女を生け捕りにしようとして、一騎打ちをしようとするが、逆に討たれてしまいました。甲斐姫の武芸を象徴するエピソードとして有名です。


こうして忍城は抗戦を続けましたが、小田原城が先に落城してしまったため降伏することになります。

その後、甲斐姫は謀反を起こして実母を殺害した者を、自ら成敗するという武勇伝を残し、その美貌と武勇の評判を聞きつけた豊臣秀吉が気に入り、甲斐姫を側室として側においたと言われています。

三島水軍棟梁、瀬戸内海のジャンヌダルクの戦国姫・鶴姫

鶴姫のい生家・大山衹神社
ドラマ性十分でもっとフューチャーされてもいいなと思って、次のヒロインにも推したい戦国姫が三島水軍の鶴姫。

伊予国大島にある大山衹神社の大宮司の娘で、本名は大祝鶴。

鶴姫は利発な娘で、父が武芸や兵法を教えるとすぐに吸収していったため、人々は鶴姫を三島明神の化身と称えたと言われています。

鶴姫の生家である大山衹神社の宮司一族は、瀬戸内海に勢力を持つ三島水軍に与していました。1541年、中国の地方の大大名・大内氏の水軍が大三島に攻め寄せてくると、鶴姫の兄・安房が三島水軍を率いて迎撃に向かいました。

しかし、安房は戦死してしまい、三島水軍に動揺が広がります。これを見かねた鶴姫は、自ら鎧を身に着け出陣して味方を鼓舞し続けました。さらに、夜になると一人遊女に扮して敵の船に近づき、油断した敵将を討ち取るという大活躍で、ついに大内軍を追い払ってしまいました。

しかし、2年後の1543年に再び大内軍に押し寄せ、三島水軍は大敗。鶴姫と恋仲にあった越智安成をはじめ、多くの将兵を失ってしまいました。

鶴姫は残った軍勢をまとめて、夜襲を決死の決行。見事に大内軍の大軍を退けることに成功しますが、戦が終わると恋人・安成を失った悲しみからか、安成を追って入水自殺をしたと言われています。

ドラマ性は十分な女性、ちょっと悲しい戦女神でした。まさに女ジャンヌダルクですね。本家ジャンヌダルクが何度も映像化されているので、この鶴姫をヒロインにした映画ができてもいいかもしれませんね。


夫の留守を狙われても追い返してしまった、市川局

中国地方最大の勢力だった毛利方に仕えていた市川経好の妻。1569年、夫が出陣して居城の高峰城を留守にしていたとき、大内家の奇襲を受けます。

このとき、市川局は自ら甲冑を見にまとうと、女中たちを指揮して大内軍に抗戦し、10日間の戦いの末、大内軍に勝利した。毛利輝元は「比類なし」として、彼女の健闘ぶりを称えました。

女って怖い・・・戦国最強の女軍師・妙林尼

前回の大河が「軍師・官兵衛」でしたね。この黒田官兵衛顔負けの戦上手が妙林尼です。まさに女・軍師と言えば妙林尼のことを言うのではないでしょうか?

妙林尼は、豊後国戦国大名・大友家に仕えた吉岡鑑興の妻。1578年の耳川の戦いで夫が戦死してしまったため、出家しました。

1586年、薩摩国の島津家が大友領へ攻め寄せ、妙林尼がいる鶴崎城に3000の島津軍が迫りました。鶴崎城にはわずかな兵しかいませんでしたが、妙林尼は落とし穴を準備するなど、城に大掛かりな仕掛けを作って応戦。

島津軍はまんまと妙林尼が仕掛けた罠にはまって、城から鉄砲を撃ちかけられて大損害を被りました。その後も妙林尼はゲリラ戦を続けて、計16回も島津軍を退けましたが、最後は兵糧攻めにあい、食糧が尽きたため降伏しました。


しかし、妙林尼は島津軍の撃退を諦めていませんでした。彼女は島津軍の将兵に酒を配ってもてなし、油断を誘い、そして島津軍が城から引き揚げていく背後を奇襲をかけて壊滅的な損害を与えました。

女って恐ろしい、と思わせる強烈なエピソードですね。

武家の娘の意地を見せつけて散った、鶴姫

先ほど紹介した鶴姫とはまた別人です。この鶴姫は、備中国の大名・三村家親の娘で常山城主・上野高徳の妻。

1575年、毛利家の攻撃を受けていた常山城は落城寸前となりました。城主・高徳もいよいよ切腹の覚悟を決めたとき、高徳の妻・鶴姫は「敵の一人も討たずに自害できようか」と叫ぶと、長刀を手に取って暴れ始めます。これを見た侍女たちも次々に武器を取り、鶴姫を先頭に総勢34名の女傑たちは城を飛び出して敵陣に切り込んでいったと言われています。

鶴姫たちはたちまち100人ほどの敵兵を切り倒しましたが、やはり兵力差を覆すことはできず、ひとりひとり討たれていきました。最後まで戦った鶴姫もやがて戦いをやめ、城内に戻って自害。

武家の娘の意地を最後まで見せつけて、壮絶な最期を遂げました。

戦国最強ばあちゃん、妙印尼

上野国の武将・由良成繁の妻。

1584年、金山城主を務めていた息子・国繁が北条家に捕らえられたとき、息子に代わって城内をまとめ、北条軍と戦いました。このとき、妙印尼は71歳の高齢でしたが、気力は凄まじく、自ら鎧をまとって城内を鼓舞して回り、和睦に至るまで北条軍を退け続けたと言われています。

戦国 名城の姫たち (静山社文庫)

戦国 名城の姫たち (静山社文庫)

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