日本経済を掌握した財閥と財閥に対する反発がテロや戦争に繋がった

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三菱財閥の祖・岩崎弥太郎の生家

幕末特定の商人に力を与えて作られた財閥

昭和初期、都会でも田舎でも、貧しい生活を余儀なくされていましたが、このごろから一部の財閥が巨大な富を独占していました。

財閥というのは、特定の一族が巨大な企業集団を形成したものです。現在のコンツェルンコングロマリット違うのは、株式などの公開度合いが少なくて、「一族経営」という意味合いが強いという点です。

戦前の日本経済は、一部の「財閥」が産業全体を支配していました。代表的な財閥は今も生き残っている三井、三菱、住友、安田などがあります。

終戦時、三井、三菱、住友、安田の4大財閥だけで、全国の会社払込資本の49.7%を占めており、資産額ではそれよりももっと高い比率を占めていたとされます。日本経済の過半は、数家族の財閥に握られてしまっていたのです。

財閥がなぜできたのかというと、そこは日本特有の事情があります。

幕末、無理やり開国を迫られた日本は、西洋諸国にあるものに負けないような企業を、即席で作る必要が迫られました。そこで、特定の商人を優遇し、西洋企業に対抗できる力を持たせたのです。

商人たちのほうも、政府を十二分に利用しました。日本に新しい産業を興すためには巨力はするが、同時に特権も取り付けます。そうして、財閥という巨大な存在ができていったのでした。

たとえば、三菱財閥は最初、岩崎弥太郎が創始した船会社としてスタートしています。

明治初期の日本の運輸業は、外国商船が支配していました。それに対抗するために、政府は三菱/岩崎弥太郎に、政府保有の大量の譲歩し、三菱の運輸業を助けたのです。その結果、明治中期には日本国内の運輸業から、外国企業はほとんど駆逐されました。

また、明治初期、日本では生糸が主な輸出作品でしたが、生糸を扱う日本の業者は零細なところばかりでした。外国の商社は、最初は高額で生糸を引き取り、それにつられて生糸業者が全国から生糸をかき集めたところで、買い控え、生糸相場を暴落させました。

外国商社は日本の生糸市場を意のままに操っていたのでした。

そういう外国商社のやり方に危機感を抱いていた日本政府は、何とか対抗策を講じようとしてきました。

その意を汲んで江戸の大商人三井家が大手の貿易会社を作りました。そえが三井財閥の総本山「三井物産」の始まりでした。

財閥による市場支配の反発がテロや戦争として表面化

その後、財閥は政府とうまく結びつきながら肥え太っていき、昭和初期には大変な財力を持つに至りました。

例えば、昭和2年度の長者番付では、1位から8位までを三菱・三井の一族で占めていました。岩崎久彌などは430万円もの年収がありました。大学出の初任給が50円前後、労働者の日給が1~2円の頃の話です。普通の人の1万倍を近い収入を得ていたことになりますね。

現在のサラリー万の平均年収が500万円前後だとかんがえれば、その1万倍というと500億円です。2004年度の長者番付1位が30億円程度だったので、その10倍以上もあります。戦前の財閥がいかに金持ちだったか、ということでした。

さらに戦前の財閥の場合、一族の皆が高収入なのです。しかも当時は所得税が年収に関わらず、一律8%だったそうなので、高額の収入はそのまま私財となって蓄積していきます。そのため戦前の財閥は、雪だるま式に巨大化していったのです。

当時の国民にとって、彼らの存在が面白いはずがありません。

大正デモクラシーや労働運動でも糾弾の対象とされ、2・26事件などを起こした若手将校の過激思想の中においても目の敵にされました。

そのためテロの標的にもなりました。

例えば、安田財閥創始者安田善次郎は、右翼の活動家によって暗殺されてしまいました。三井財閥の総帥だった団琢磨は、昭和7年、血盟団のテロで暗殺されています。血盟団のテロとは、昭和7年に起きた右翼団体血盟団」による元蔵相の井上準之助三井財閥の総帥団琢磨を暗殺した事件です。

ちなみに血盟団日蓮宗の僧侶井上日召によって作られたもので、団琢磨は技術官僚から三井鉱山役員に転身し、総帥まで昇りつめた人物です。

財閥も世間の風当たりは当然、察知していて、慈善事業を行ったり、役員の報酬を引き下げたりしています。例えば、三井信託は昭和5年、役員の退職金、給与を減額して、それまで25年勤続者の退職金が給与135カ月分だったのを65カ月にし、半分以下に切りさげました。ボーナスも20~25%減額しました。これは信託だけでなく、銀行、物産、鉱山にも断行しています。

三菱はすでに同様の処置を昭和3年に断行していた。それでも財閥と庶民の経済格差は大きく、怨嗟が蔓延していました。そのはけ口として、「戦争」が求められた面もあります。

結局、財閥は終戦まで永らえましたが、戦後GHQの指令により解体させられました。