38年戦争、日本で最も長い戦争は平安時代にあった

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平安時代は決して“平安”ではなかった

平安時代に対して皆さんはどんなイメージがありますか?

平安時代といえば、藤原道長り筆頭に、優雅で贅沢な貴族たちの時代です。平安の名の通り、争いごとは少なかったと勝手に勘違いしてたりしませんか?

実は、平安時代も、ちっとも平安なんて言えず、日本のあちこちね内乱に明け暮れていた混沌とした時代だったのです。

東北地方を中心に蝦夷と呼ばれる反抗勢力平安時代の朝廷は悩まされ続けていました。

蝦夷と言えば、アイヌ人かと思うかもしれませんが、決してそうとは限りません。古代の東北地方には、関東などから移住してきた倭人アイヌ民族が混然としていたそうです。

平安時代くらいになるとこれらの東北地方の人々は独自の文化を持つようになっており、中央政権とは距離を置くようになっています。

ただ、京都にいた中央政権は、東北を支配に置きたい。そのため、たびたび軍を派遣したり、東北地方の豪族たちを鎮撫したりして、支配地域を拡大しようとしていたのです。

東北地方の人々人々は中央政権の支配を受け入れることもあったそうですが、それでも中央政権は、東北地方を辺境の地として扱い、差別すること多々ありました。

たとえば東北の豪族に階位を出すときには、『外従五位下』というような形となりました。普通ならば『外』は付けられず、『従五位下』とされるところなのに、東北の人々に対しては『外』付けることで、他の日本人とは違う扱いをして差別化をしました。

もちろん東北の人にとってはそんなの面白いはずがありません。そうした経緯もあって、アイヌ民族はもとより、大和民族だった人たちも、中央政権に反旗を翻すことが多々ありました。

その最大のものが、38年戦争です。奈良時代の末期から宝亀5年から始まり、38年も続いた戦争です。

名将と名高い坂上田村麻呂によって最終的に鎮圧されましたが、平安朝廷はこの乱により、多大な負担を余儀なくされています。

38年戦争の残党が武士団の結成を加速させていく

この38年戦争が日本社会に及ぼした影響はとんでもないものでした。

まずは治安の悪化。

38年戦争で敗れた東北の人々は、強制的に日本各地に移住させられました。彼らには、一応の居住地域が与えられましたが、その土地は荒地も荒地。食うに困ることになってしまって、盗賊化したり、さらには蜂起したりします。

そんな彼らの存在は、俘囚と呼ばれ、人々か
恐れられていました。そして俘囚から自衛するために各地で武装する者たちが増えていき、豪族も家人たちに武器を与え、訓練を施すようになります。

そうしてこれがやがて武家に発展していきます。武家の成り立ちには、複数の背景があると思いますが、38年戦争も一つのきっかけになったんだと思います。


武装した豪族たちを中央政権の利用することもありました。

当時、全国の租税などを都まで運ぶのは非常に危険な業務でした。山賊や海賊に襲われるからです。そのため国衛が武相した豪族たちに輸送業務を依頼することも度々ありました。

また、逆に武装した家人たちが盗賊団となって、租税の輸送を妨害するようなことも見られるようになりました。


つまり、襲う方、襲われる方が互いに武装を厚くしていき、武装団の人員も増えていったのです。

この武装団は38年戦争の影響を強く受けた関東以東に非常に多く見られ、ここが朝廷にとっては、火薬庫になっていきます。平将門の乱も関東で起こりましたしね。

だんだんと朝廷も東国には、気を遣うようになって、東国の税を他国の半分に軽減させることもしていたそうです。

そして、彼らの末裔がやがて鎌倉幕府のベースとなる関東武士団になっていくのです。

東北─不屈の歴史をひもとく

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