民衆と王に愛され、悪徳裁判官たちを懲らしめたロビン・フッド

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イギリスの民衆のヒーローとして伝わるロビン・フッド

イギリスの伝説として、ロビン・フッド伝説があります。アーサー王が王侯貴族の模範だとすれば、民衆たちのヒーローこそがロビン・フッドです。


今日、語られているロビン・フッド像は、中世の伝説のアウトローとはかなり違うかもしれません。


近年の伝説が16世紀から17世紀の劇作家によるものなのに対し、中世に広まったのは放浪のミンストレルによって歌われた口頭伝承で、もろもろのバラッドに生き残っています。


ロビン・フッド伝説の起源は不明ですが、おそらく14世紀前半ではないかと考えられています。
多くの初期版では、バーンズデイル地域で活動していた一群のアウトローたちがモデルになったことを想像させます。

中世末のバラッドを聴いていた民衆にとっては、ロビン・フッドは新たなヒーロー、つまり古い宮廷風物語の英雄騎士ではなく、肩書きも所領もない『ヨーマン』であり、しかも彼とその従者たちは盗賊でありながら貴族的な美徳や物腰を備えていたのです。


まだ中央国家権力が弱くて、地方行政が腐敗していたときに、高貴な盗賊が悪を正して正義を実現する姿は喝采されたのでしょう。最初は、庶民、ついで15世紀にはジェントリ層や貴族、ついには国王にまでアピールしていきました。

初期の話では、ヨーマン出身でありながらアウトローになったロビン・フッドが、仲間とともに『客』を待ち受けて食事に誘います。彼らは森の中で『客』となったある騎士(サー・リチャード)を歓迎する宴を開きますが、盗賊としての本性を現して代金を要求します。

ところが騎士が『騎馬槍試合で相手を殺してしまい追われる身となり、借金もしている』と身の上話をすると、ロビン・フッドは義侠心に駆られて400ポンドを貸すのみか、騎士としての立派な装いをさせ従者たちも貸してやったのです。

そのあと、仇敵の代官との対決、捕らえられた騎士の救出、変装した王との出会いや盛大な宴会と弓試合、宮廷への出仕などのシーンが続きます。


この痛快な武勲は、ジェントリから小作人まで広い層に受け入られました。ロビン・フッドは有徳の士から金品を奪うことは禁じていましたし、ターゲットはみんなの敵、高位聖職者や代官、裁判官という権威を笠に着て庶民を苦しめる者達でした。

他方、国王のことは深く敬愛していたのです。ロビン・フッドは、王権に刃向かうのではなく、単に御料林法を犯していただけなのです。

中世のイギリス王もロビン・フッドの祭りを利用して民衆からの人気を得ようとしていた

16世紀にはいくつものロビン・フッド劇が新たに創られ、三匹の犬を連れたタック修道士ら面白おかしい登場人物も加わり、五月祭に上演されるようになりました。

イギリス王自らもこの祭を楽しむことがあり、特にヘンリ8世は何度もロビンさながらに扮装したり、弓の腕を披露したりしていたそうです。


ヘンリ8世は近衛兵らが緑の服と頭巾の出で立ちでロビン・フッド一行に扮し、ロンドン郊外の森で王一行をもてなしたこともあったそうです。


ヘンリ8世の女である、エリザベス一世も即位直前、12人の侍女と緑の服をまとったヨーマン20人と共にロンドン近郊の森に鹿狩りに出かけ、黄色の帽子、緋色の長靴、金張りの弓を備えた50人の射手に出会っています。


ルネサンス期の王侯貴族らの優雅な催しに、ロビン・フッドはうまく適応したようねす。そのあとも劇作家らがロビン劇を新たにして作り、近代には詩・続用・音楽劇も作られていきました。


十字軍から帰ったリチャード1世ノッティンガムの城砦がおとうとジョンの支配下にあるのを怒って攻囲しましたが、そのリチャードにロビン・フッドが仕えていたというものがもあるのです。


イギリス王派アーサー王伝説を利用して自分が貴族騎士の代表たることを示しましたが、ロビン・フッドとのつながりでは王が庶民の大ヒットたることを誇示しようとしたのではないでしょうか?