大久保利通は権力に溺れた独裁者だったのか

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大久保利通像@鹿児島市

大久保利通「悪者」観への挑戦

維新三傑」と並び称される西郷隆盛木戸孝允大久保利通の3人のうち、郷里鹿児島の士族と共に死の道を選んだ西郷、政府内の融和に苦心しながら病に倒れた木戸に比べて、大久保利通の評価は“嫌われ物”ということが多いようです。

大久保利通は晩年に盟友だった西郷を追いつめたや、やれ自由民権運動を踏みにじったと、芳しいものではありません。

確かに歴史の教科書等に描かれている大久保利通のイメージには強権政治化がつきまといます。多くの高校生が使用している「日本史B用語集」に掲載されている「大久保利通」のページには「藩閥政府の中心として権力をふるった」とだけしか書かれています。

しかし、本当の大久保利通は、幕府を討伐したのちに権力に溺れて志を失った独裁に走ったのでしょうか?大久保利通の行動には、当時の日本と世界の状況を見据えた上で国づくりに関する確かなビジョンがあったと思うのです。

まず、大久保利通行政改革建言を行った経緯について説明しましょう。

1871年、大久保利通が主導した明治政府は廃藩置県を断行して中央集権体制を一気に固めました。また、明治政府は近代化著しい欧米諸国への視察と不平等に締結された条約改正の予備交渉を目的として、右大臣岩倉具視特命全権大使とした使節団を派遣します。

明治新政府にとって、幕末に江戸幕府との間で結ばれた不平等条約の撤廃は悲願でした。

このときの使節団には木戸孝允大久保利通伊藤博文など幕末・明治維新オールスターキャストで臨んでいるところをみても相当の覚悟を持って臨んでいることが伺えます。(あるいは、彼らも日本が既に欧米列強と肩を並べる近代国家に生まれ変わり対等な条約を結ぶ資格を得たとの自負があったのかもしれませんね。) 岩倉具視使節団は、新政府にとってまさに「大宝の遣唐使」とも呼べる存在でした。

しかし、交最初の訪問国アメリカで不平等条約の解消に関する交渉は惨敗でした。アメリカ政府からは明示清政府からの全権委任状の不備などを指摘されて取り合ってもらえず、何もできずに挫折。

それ以降の活動は、当初の目的に代わり、欧米諸国の政治制度や産業の発展状況などの視察に努めることになりました。(何もできず日本に帰国するわけにはいかなかったという側面もあったのかもしれません。)

このときに大久保利通ら一行は、日本との欧米諸国の国力の差を痛感し、交渉よりも国内体制の整備が先決であるとの認識を強くして2年後に日本へ帰国します。

一方で、大久保利通らが海外派遣されている間、西郷隆盛江藤新平板垣退助らを中心とする留守政府は、出発前の約束を破って学制や徴兵制といった改革を強引に進めました。この事実を知っていれば、独裁者という評価が西郷隆盛側についてもおかしくなかったようにも思えます。


特に、留守政府は、鎖国政策をとる朝鮮に対して武力で開国を迫るという征韓論を主張し、西郷隆盛らの朝鮮への派遣を決定していました。この背景には、戦がなくなり仕事がなくなり、新政府の近代化策に対する不満を高める士族の目を、海外の新しい敵に向けさせようという思惑がありました。(もし実際に朝鮮へ出兵していたら、まさに豊臣秀吉朝鮮出兵のような過ちを犯すところだったのかもしれません)


ここで、帰国した大久保らは、海外視察の結果を踏まえて、海外への侵攻よりも国内改革が優先であると主張して、西郷らが強行していた「渡韓の儀」の天皇への奏上を最後の最後でぎりぎり阻止しました。


このとき朝鮮へ渡る計画を阻止された西郷らは地元鹿児島へ戻ります。そして、この朝鮮出兵を阻止された士族の中から、ある者は不平士族の反乱を率いて蜂起し、ある者は自由民権運動に身を投じるのです。なので、自由民権と言いながらもこの時の反政府の運動は、本当に平和を求めての運動だったのか少し疑問が残り、残るわけです。

こうして西郷らの暴走にも近い行動を阻止して、政府の中枢に立った大久保は、内治の整備を進めるための内務省を設置し、自ら内務卿となりました。内務省は、地方行政・警察・勧業・交通通信などを一手に担う、戦前最大の巨大官庁でした。この内務省と言う存在が、大久保利通に独裁者・専制政治家というイメージを作り上げてしまったのではないでしょうか。


それはさておき、海外使節団として欧米諸国の見聞を活かして、本格的な国づくりに取り組まなければなりません。その手始めとして行われたのが行政改革の建言だったのです。

未来の民主政治を先取りする君民共

大久保利通が君民共治だけでなく民主政治を高く評価していたことが分かります。大久保利通は君民政治がすべて善しとしたのではなく、国民の政治意識が低かった当時の日本では民主政治に移行する前には君民政治が必要だと判断した、ように思います。

その証拠に大久保利通は使節団で最初に訪れたアメリカで「アメリカのデモクラシー」という本を書いています。使節団の最初の訪問国だったアメリカは、ちょうど南北戦争(1861年~1865年)が終わった直後で、政治的にも経済的にも急成長を遂げていた時期でした。

さらに、視察旅行で訪れたフランスの政治家トクヴィルが、デモクラシーが社会に根付いていることに感動して「アメリカのデモクラシー」を著したように、大久保も民主性維持に日本の将来を夢見ていたと推測します。

しかし、長く封建制度の下にあり、「お上」の命に従うことを善しとしてきた日本ではいまだ民衆の政治意識は低く、民主政治は時期尚早であるこということも大久保には分かっていたと推測します。

近代化政策に対する士族や平民の不満が高まる中では、新政府が強力なリーダーシップを発揮して、国家建設を進めていくこと、いわゆる「上からの近代化」も必要です。

大久保は、君主制字が当面は妥当であると考えていました。「蒙昧無知の民」という、今なら一発でクビが飛びそうな言葉づかいも、大久保に見えた当時の国民の姿だったに違いはありません。

将来的には民主政治が理想だ、しかし、現状では強力な君修正権の下で新政府がkindないかを引っ張っていかなくてはなりません。この両者が重なりあうところに大久保は君民共治という政体見出したのではないでしょうか。

このとき大久保がお手本としたのはアメリカではなくイギリスです。
大久保が日本の発展のために、当面は「君長」の下にある新政府が人民の際力を十分に伸ばす良政を施していき、将来は「人民がおのおの自身の権利を実現するために国の自由独立を図ることが重要と考えたのです。

だとすれば、大久保利通は在野を通した知識人・福沢諭吉と極めて近い考え方をしていたと考えられます。福沢諭吉のベストセラー「学問のすすめ」で「一身独立して一国独立す」と述べて、日本が国家として独立を確保するには、個人が独立自尊の精神を持つことが肝心であると説きました。

日本の将来的な発展に民衆の力が必要であると考えていた大久保は、決して単なる専制政治家ではなかったのです。

大日本帝国憲法に埋め込まれたデモクラシー

大久保は1878年、不平士族に襲われて49歳の若さでこの世を去ります。紀尾井坂の変です。しかし、日本の未来に寄せたその思いは、伊藤博文らを中心に1889年には発布された大日本帝国憲法に、確実に引き継がれていきました。

大日本帝国憲法は一般的にドイツ流で強い君主権が与えられ、国民の自由や権利は法律の範囲内に制限されるなど、「民主的」ではなかったと否定的な評価が下されることが多いようですが、各条文を読んでいけば一概にそのように言えないことも分かります。

例えば、天皇統治権について規定した第4条には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規二依リ之ヲ行フ」とあります。棒線部の文言は、憲法草案の審議において伊藤博文の強い意向により反対を斥けて採用されたものです。

伊藤は、国家権力は憲法によって抑制されるべきという、立憲主義の精神を正しく理解していました。天皇統治権を総覧しましたが、その運用は無制限だったわけではないのです。

そして、この第4条の規定が議会政治・政党内閣への道を開くことになります。憲法学者美濃部達吉は、天皇を国家の最高機関とする天皇機関説を展開し、統治権の行使には内閣の輔弼や議会の承認が必要であると主張して、大正時代の民主的な風潮を理論的に支えました。

伊藤博文が将来像として、政党内閣を思い描いていたことは、のちに立憲政友会総裁として第4次内閣を率いたことからも明らかです。そして、短期間でしたが「憲政の常道」と呼ばれる二代政党が交互に政権を担当する時代も現れました。大日本帝国憲法には、大久保利通伊藤博文が理想としたデモクラシーの精神が埋め込まれていたわけです。

たとすれば、大日本帝国憲法が“非”民主的だったわけでなく、戦前の国民が憲法を「民主的」に運用できなかった、と言う子音になります。実際に、政党内閣を引きずり降ろして「憲政の常道」をストップさせたのは世論とも言えないような国民感情でした。戦前の日本はその後歯止めを失い戦争へと加速していくことになります。

ですが、この批判的な視線は、戦後の日本を生きる私たちも日本国憲法を「民主的」に運用できているのでしょうか?この国を変えてくれそうなリーダーに過剰に期待を膨らませ、それが裏切られるや途端に批判を浴びせることがそもそもデモクラシーなのでしょうか?

現代の状況は、実は戦争に加速していく前の日本の状況に少しばかり重なる部分があるように思います。だからこそですかね、歴史を学ばないとまた痛い目にあうぞ、ということでしょうか。

西郷と大久保 (新潮文庫)

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