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豊臣秀吉のために全財産を投げ打って関ケ原の戦いに挑んだ石田三成

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主から与えられた財産は主のために使えが戦国のルール

石田三成と言えば、関ケ原の戦いで敗北した負けた武将としてのイメージがほとんどですが、秀吉の下で小姓の身分から関ケ原で西軍を率いる将にまで出世したのでそれはそれは大変優秀な武将で、戦後時代の成り上がりを体現している武将の一人です。

石田三成は、小姓として雇い、自分を拾ってくれた豊臣秀吉のことをとにかく尊敬し、慕う忠臣でした。それを表す記録として、石田三成は普段からこんなことを言っていたそうです。

「奉公人は主人からもらったものも使い切りのこしてはならないオスのであればそれは盗人というものだ。」

現在の我々サラリーマンから見ると会社からむ給料を会社のために使うということでしょう。少し奇異な感じがしますが、こういう考え方は当時としては低めへした。

もっとも、じゃんじゃん遣えばいいとってはいません。遣い過ぎて借金をするような者はバカだ、と斬って捨てるように言っています。

読者の皆さんもご承知の通り、戦国時代の大名は、家臣に対して領地が、蔵米といわれる米そのものは与えて、彼らを養っています。

しかし、主人が家臣に対して領地を新たに働いて収入が増えた場合、その心は、「贅沢をしろ」ということではありませんでした。「兵を増やしてさらに強力になって主人の役に立って」ということでした。

したがって、収入が増えても自分のために使えることはほとんどありません。最も、家は大きくなります。足軽の住む長屋から、秀吉のように一国一城の主になれば、家も城ということになります。


しかしながら、それも「防衛拠点をしっかり守れ」ということでしかなく、富豪が豪邸を構えるとは、まるで意味が異なりました。

ちなみに織田信長の家臣には秀吉と並ぶ佐久間重盛という老臣がいましたが、「加増しているのに、兵を新たに雇わず自分のために使っている」ということを罪科の一つとして、身ぐるみはがされそうな勢いで息子と二人放り出されたほどでした。


戦国の人にとって、収入が増えるということは、こうした意味があったのです。

精勤と才覚の三成

三成は、秀吉の小姓の実から、佐和山城を本拠とする19万石余の領地の主にまで出世します。秀吉の死ぬ三年前のことでした。


三成は加増野意味をくみ取るという意味では、徹底しています。そのことは三成が関ケ原で敗北した際、この三成が居城が攻め落とされたときに、明らかになりました。

城を落とした徳川方の諸将は、喜び勇んで佐和山城に飛び込みます。

何しろ、このとき、莫大な富を誇る豊臣家の五奉行の一人になった男の城です。相当な財貨がそこにはあるだろうと期待しました。

しかし、佐和山城に入ってみると、あまりのことに諸将は拍子抜けてしまいました。

城は質素そのものだったからです。

三成が普段暮らす屋敷には、土壁が剝き出しで上塗りがなく、城内の多くの建物が板張りで、障子や襖はいらなくなった髪を使い、庭にも目を楽しませるべき樹木が一つもないという有様だったということです。


「皆々案外にてありしなり」
『名将言行録』にはこのようにありました。


また、城内をくまなく探しても、金銀の類が全然ありませんでした。

関ケ原合戦は、豊臣家が徳川家康に政権を奪われるのに抗った戦です。三成は、その抵抗の首謀者となり、持てるだけの金銀を戦に投じたのでしょう。

三成が普段から豪語していた「奉公人は主人からもらった物を遣って残してはならない」という心情はここでも実践されていたわけです。三成は秀吉からもらった給料を、豊臣家のために吐き出して死んでいきました。


以上は、三成が死に至った際に判明したことでしたが、普段の精勤ぶりは目を見張るものがありました。それを示す逸話は枚挙にいとまがありません。

その一つ。

おそらく大阪城でのことでしょう。大雨が降った夜などは、城周りが破損でしていれば、三成は真っ先にこれを見つけます。

担当の普請奉行が午前十時ごろに秀吉に報告に行くとすでに秀吉は知っていました。三成がその四時間前の午前六時には報告を済ませていました。夜明けとともに城を飛び出して、城周りを点検して歩いた三成が目に見えるようです。


勤務については、その才覚を存分に活用しました。

大阪城付近の堤防が決壊した際のことです。秀吉自身も視察に行ったので、大名級の家臣たちも現場には赴きましたが、解決策が見つからず、堤防の切り口を前にして手をこまねいているばかりでした。

そこで、三成の登場です。大胆な男でした。城の米蔵を米俵を数千俵を切り口に投げ込ませました。たちまち洪水は収まったので、秀吉もその家臣どももその才覚には舌を巻いたという事でした。

それだけではなく、今度は付近の住人達に土俵を用意させ、米俵と順次取り換えさせました。泥水に浸かった米が食べられたのかは知りませんが、三成としては米をみすみす無駄にはしたくなかったのでしょう。こういうところを見ると、なんだか秀吉のやり方を彷彿とさせます。

まぁ、何というか、こうまでして自分のために働いてくれる部下を持ちたいものですね。秀吉もそんな三成を頼もしくも、いじらしく思っていたことでしょう。

そんな秀吉の気分が「俺がもし死んだら、次の天下人は三成がふさわしい」と言わしめました。それが三成を関ケ原の戦いに奮い立たせた言葉だったのかもしれませんね。

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のぼうの城は面白かったですね、若かりし石田三成が成り上がるために秀吉の真似をする様子が滑稽に描かれています。

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