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劣等種族とみなされ迫害、ユダヤ人がヨーロッパに対する武力抗争を行うきっかけに

イギリス フランス ドイツ 世界史 宗教

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出展:Wikipediaより

果たしてユダヤ人は「○○国民」になれたのか?

18世紀末に起きたフランス革命ナポレオン戦争ユダヤ人にとっても1つの大きな転機になりました。フランス革命によって、封建制度による身分社会が崩れていき、新しい「国民」という概念が形成されます。


国民という全く新しい概念の中で、ヨーロッパ諸国は民族が異なるユダヤ人をどのように位置付ければよいのか、思案を重ねることになりました。


ユダヤ人を冷遇しなかった国があります、いち早く革命が起きたフランスです。当時のフランスに住んでいたユダヤ人は最も恵まれた待遇を受けていました。


フランスの国民議会で、ユダヤ教徒にフランス人と同等の市民権を与えられたことで、アメリカや他の西ヨーロッパ諸国も同様にユダヤ人に対して同等の市民権を与えられるようになりました。こうして、国民国家の一員、市民の一員として認められたユダヤ人は、差別的な扱いからようやく解放されたように見えました。


そして、19世紀に入ると、ユダヤ人は西ヨーロッパにおいて迫害からの解放で自由を謳歌しながら、政治や経済、学問、文化など、あらゆる面で徐々に存在感を高めていくことになります。


ただし、フランスでは、ユダヤ人を「国民」として受け入れることで、ユダヤ人はヨーロッパの地に土着し、民族を超えた結婚等も経て、他民族と同化し、最終的には吸収されて消えていくはずだと言う考え方がありました。


しかし、国の中でユダヤ人の存在感が増していくと、フランスやドイツでもユダヤ人は他民族に同化できるのか、疑いの眼差しを向けられます。ユダヤ人はユダヤ教という強い宗教的な結びつきを持った民族集団であって、「国民」という存在の中に収まらないのではないか、という批判的な思想が生まれてきます。


そのような思想に対して、ユダヤ人の中でもユダヤ人が他の民族に同化していくことを好ましく思わない人たちも現れてきます。


この当時、表面的にはフランス人やドイツ人は、ユダヤ人と協力関係にあるようにも見えていましたが、既にユダヤ人を巡った民族間の争いの火種は消えていなかったわけですね。

ユダヤ人は自分たちが安心して暮らせる土地を求めるようになる

さて、ユダヤ人を再び不幸に追い詰めたのが、産業革命・近代科学の成長です。近代科学の発展により、ダーウィンの進化論を社会学民俗学に応用した社会ダーウィニズムという考え方が生まれました。


このダーヴィニズムという勝手な思想に基づいて、ヨーロッパ人の中に"ユダヤ人は生まれながらの劣等人種である"という差別的な思想が生まれました。まったく見当違いな思い上がりですが。



なお、このとき、改めてユダヤ人をユダヤ教という宗教によりつながった集団ではなく、「人種」として定義されました。


ダーウィニズムにより「人種」による優劣がある考え方に従えば、たとえユダヤ人が改宗や帰化をしたとしても覆せるものではないことになります。既にキリスト教徒になっていても、どこかの国家の国民に成っていても、祖先にユダヤ人がいれば差別・迫害の対象となりました。


この時期からユダヤ人にとって最も悲惨で卑劣な状況に陥りました。


そして、ユダヤ人の同化と反ユダヤ主義が対立が激化して、フランスのドレフュス事件が起こります。1894年、ユダヤ系フランス人のドレフュス大尉がスパイ容疑で逮捕され、終身刑を宣告された事件です。この逮捕は明らかな冤罪で不当な逮捕であり、すぐに別の犯人が判明したのですが、フランス軍が自分たちのメンツを保つため冤罪を認めなず、ユダヤ人と反ユダヤ主義が激しい争いとなりました。このとき、フランス世論がユダヤ人の同化と反ユダヤ主義に二分される社会問題になりました。


ドレフュス事件については、最終的に世論が再審へと傾き、ドレフュス大尉は大統領特赦によって赦免されることになります。ユダヤ人はフランス国民の一員か、フランス国民とは別の存在かという議論において、このときはユダヤ人をフランス国民として受け入れる考え方が勝ったのです。


しかし、ユダヤ人側からすれば、改宗しても帰化しても、差別と迫害が付いて回る、もはやヨーロッパに安住の地はないと不満や危機感が募り、ユダヤ人のは自分たちの民族郷土建設を目指すシオニズム運動が加熱していきます。


そして1897年の第1回シオニスト会議において、民族郷土の建設が採択されます。ユダヤ人はフランス人やドイツ人などと同様の民族集団であるのに、ユダヤ人の国家を持たないことが最大の問題だと考えたのです。


一方、民族郷土にこだわらないユダヤ人たちは、移民国家であれば差別少ないだろうとの考えから、アメリカへの移住を選びます。それ以外の大半は様子見の姿勢でいる一方、なりふり構わずパレスチナ地方へ移住するユダヤ人も少数ながら存在しました。

イギリスの三枚舌に騙されてユダヤ人たちが武力抗争に・・・

1914年~1919年の第一次世界大戦が、パレスチナ地方をめぐる状況を一変させます。イギリスがオスマン帝国を弱体化させるため、様々な裏工作を行い、次の3つの密約を交わしたのです。

①フライン=マクマホン協定

 オスマン帝国打倒後、その支配下にあるアラブ民族の独立を認めるという協定。オスマン帝国を内側から切り崩すため、トルコ人とアラブ人の間にくさびを打ち込みました。

②サイクス=ピコ協定

 フランス・ロシアと、オスマン帝国打倒後の領土分割について取り決めを結んだもの。三国による「果実の配分」です。

バルフォア宣言

英米ユダヤ人財閥から支援を受けるために、パレスチナにおけるユダヤ人国家建設を支持した宣言。

こうした外交政策や工作も功を奏して、第一次世界大戦でイギリスは勝利を得ます。しかし、矛盾する3つの密約をすべて履行することは不可能です。結果として、イギリスは、サイクス=ピコ協定を最優先させ、現在のシリアとレバノンをフランス、パレスチナとヨルダン、イラクをイギリスの委任統治領としました。


一方、パレスチナへ移住するユダヤ人は増え続け、すでに居住しているアラブ人との間で衝突を繰り返すようになります。1929年の嘆きの壁事件をはじめ、ユダヤ人とアラブ人の衝突が激しさを増したことから、イギリスはユダヤ人のパレスチナ移住を制限し、事実上、バルフォア宣言の撤回をする姿勢を明らかにしました。


こにに失望したユダヤ人の一部は武装組織を作り、イギリスに対して武力闘争を開始していくことになります。

金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った (5次元文庫)

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ユダヤ人は中世以来、金融業にノウハウを持ち、さらに世界各地に離散・移住を繰り返す中で広域なネットワークを形成していきます。ロスチャイルド家は情報を武器に大きな財を築き上げる。初代マイヤー・アムシェルは、19世紀ドイツで金融業をはじめ、5人の息子にロンドン、パリ、ウィーン、ナポリに住まわせて情報網を形成。いくつかの戦争の勝敗をいち早く入手し、ヨーロッパの金融業の牛耳る大財閥に成長していく。