読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

紀元前から始まるユダヤ人の離散と迫害の歴史の始まり

ローマ帝国 世界史 世界史-古代史 宗教

Western Wall, Jerusalem

紀元前から始まるユダヤ民族の離散と迫害の歴史が始まる

2017年現在、ユダヤ人がまとまって居住する地域があるのはイスラエルとアメリカで、この2カ国だけでユダヤ人総人口の9割を占めると言われています。「離散の民」あるいは「流亡の民」とも呼ばれるユダヤ人は長い苦難の歴史を歩んできました。


紀元前10世紀、ユダヤ人は現在のパレスチナ地方にイスラエル王国ユダ王国という2つの国家を築いていました。ユダヤ人はユダヤ教の信仰を中心にまとまって暮らしていましたが、イスラエル王国ユダ王国のどちらの国も他民族に征服されてしまい、滅んでしまいます。そのときに、ユダヤ人の多くは捕虜として東方のバビロンに強制移住をさせられました。これがいわゆるバビロン捕囚ですね。


その後、ユダヤ人は故地に帰ることを許されたものの、それからの大半の時期を大国の支配下で暮らすことを余儀なくされてしまいます。

紀元前1世紀からはローマ帝国の支配下に置かれたときに、ユダヤ人たちは反乱を起こすも、あえなく敗北。ローマ帝国によりユダヤ人は徹底的な弾圧を受け、ユダヤ人の多くがローマ帝国の版図を含む各地に離散していきました。これがきっかけで、ユダヤ人たちは離散の歴史が始まります。


ユダヤ教民族宗教として完成したのは、バビロン捕囚よりも後の時代だったと考えられています。信仰の中心であったイェルサレム神殿を破壊された上、故地からも引き離されたことから、ユダヤ人たちは心の拠り所を宗教に求めたのです。


ユダヤ教を中心として、ユダヤ人としてあるべき信仰と生活習慣の統一が図られたことで、ユダヤ人たちは離れ離れになったとしても自我と連帯意識を持ち続けていました。

偏見と差別の眼差しが積み上げられる歴史

313年、ローマ帝国においてキリスト教が公認され、さらに392年に国教化されると、キリスト教以外の宗教を信仰することが認められなくなりました。そして、おのずとユダヤ教を信仰するユダヤ人に対する迫害も強まりました。特に、知識を持たない大衆を扇動し、ユダヤ人の迫害・暴力はどんどんエスカレートしていくのです。


ローマ帝国は395年、広い領土を維持することができず、東西に分裂します。さらに、西ローマ帝国ゲルマン民族の大移動に耐えきれず、476年に滅亡しました。


当時の西ローマ帝国では、ローマ教会がユダヤ人迫害を公式に認めることはなく、ゲルマン民族の大移動に備え、キリスト信者・ユダヤ教徒が一致団結するように、ユダヤ教徒の保護を繰り返し求めました。その1つに、12世紀初めのカリストゥス2世のユダヤ教徒保護教書を頒布しています。


しかし、結局はキリスト教徒はユダヤ教徒との団結する道を選ばず、ゲルマン民族により滅ぼされてしまう結果になり、カリストゥス2世のユダヤ教徒保護教書は実際にはキリスト教徒による卑劣な迫害が現実にあったことを示す証拠として残ることになりました。


一方、東ローマ帝国のはビザンツ帝国として権力を維持し、1453年にオスマン帝国に滅ぼされるまで、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を首都として長期にわたり制圧していました。


しかし、11世紀には、勢力を拡大してきたイスラーム系王朝に押されるようになり、キリスト教の聖地でもあったイェルサレムを奪われてしまいます。その奪還を目指して、ローマ教皇の呼び掛けによって開始されたのが十字軍の遠征です。


この十字軍の遠征がユダヤ人たちにさらなる悲劇をもたらします。異教徒であるイスラーム勢力を倒すという宗教的熱狂の中で、キリスト教徒ではないユダヤ人に対しても怒りの矛先が向けられ、十字軍の遠征道中でも血祭りに挙げられたのです。これにはユダヤ人の持つ財産を没収し、遠征の軍資金に充てるという動機もあったとする説があります。


十字軍開始以降、ユダヤ人の立場は悪化するばかりで、1290年にイギリス、1394年にはフランスでユダヤ人追放令が出され、その他の地域でもユダヤ人隔離地区ゲットーが次々と作られて行きました。ユダヤ人が住むエリアを隔離されていったのです。


カトリック系のキリスト信者の多いイベリア半島では、レコンキスタを成し遂げた後、1492年にスペインで、1496年にはポルトガルで、ユダヤ人にキリスト教への改宗か国外退去を迫る王令が出され、合計数十万人とも100万人とも言われるユダヤ人がイベリア半島を追われました。さらに、スペインでは異端審問が行われ、多くの改宗者が隠れユダヤ教徒として処刑されてしまいました。


なぜ、スペインはそこまでしてユダヤ人の追放や処刑を徹底したのでしょうか。


レコンキスタが完了して国土が回復したばかりの不安定な時期に、強烈な宗教的意識を利用して国内統治の安定化させるといった目的がありました。レコンキスタの目標はイベリア半島全域のカトリック化であり、それによって建国して間もない国家をまとめあげようとしていました。このことから、イベリア半島の領土を回復したあと、不純とみなされる非カトリック勢力を断固として取り除き、カトリック教徒の一致団結を促しました。


イベリア半島から逃れたユダヤ人たちが移住したのは、イタリア北部の都市国家ネーデルラントオスマン帝国などです。また、ドイツ、ポーランド、ロシア、ウクライナなどにも広がっていきました。


このような流れでのなかで、カトリック教徒の勢いに負けたローマ教会もユダヤ人迫害にお墨付きを与えてしまいます。1215年の第4回ラテラノ公会議では、キリスト教徒とユダヤ人を区別するため、ユダヤ人に特別の衣服を着用させることが定められたのです。


キリスト教社会の中でさえ差別され、多くの職業から締め出されてしまったユダヤ人に残された職業は行商や金貸し、古着商くらいしかありませんでした。これは、当時のキリスト教会が金儲けを善とせず、利子をとることを禁じていたため、産業が発達しなかった部類の職業です。


ユダヤ教徒の宗教感では、キリスト教徒を含む異教徒から利子を取ることを禁じられていなかったので、金融業者として生き残っていきます、このことは、「ユダヤ人は金に汚い」という新しい人種差別を生みだすことにもなりました。


しかし、ユダヤ人は他の民族と比較してもお金持ちが多い民族としても有名です。彼らが大きな財を形成できたのも、この当時からの迫害に対しての生きる術を身につけてきたことによるものかもしれませんね。

〈新版〉ユダヤ5000年の教え (小学館新書 と 6-1)

〈新版〉ユダヤ5000年の教え (小学館新書 と 6-1)