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第2次世界大戦後のアメリカとソ連の代理戦争が世界各地で勃発する。

North Seoul Tower
朝鮮戦争初期、北朝鮮の侵攻を食い止めるために韓国軍が首都ソウルの漢江(ハンガン)に架かる橋を爆破作戦を実行した。

社会主義国家と資本主義国に二分化されていく

国際連盟は世界大戦を再発を防ぐために作られた組織でしたが、第2次世界大戦を未然に防ぐことできませんでした。そのため、第2次世界大戦に勝利した連合国軍の国々は、より拘束力と実行力のある組織として国際連合を創設しました。


国際連合では、連合国軍でも指導的な役割を果たしたアメリカ合衆国ソ連、イギリス、フランス、中国の五大国を安全保障理事会常任理事国とし、安全保障理事会でも圧倒的な権利、拒否権が認められました。


第2次世界大戦後の国際情勢では、アメリカとソ連の対立が徐々に表面化していきます。アメリカは資本主義陣営のリーダーとして、ソ連社会主義陣営のリーダーとして主導権争いを繰り広げていきます。


第2次世界大戦後、ソ連社会主義陣営を拡大するため、ポーランドハンガリールーマニアチェコスロヴァキアブルガリアアルバニアなどの東ヨーロッパ諸国に対して次々に圧力を加え、社会主義政権を樹立させていきます。


一方、アメリカ合衆国モンロー主義を完全に捨て去りました。ファシズムに代わる次なるライバルとなったソ連の影響力が拡大するのを防ぐために、このころから国際秩序の維持に積極的に首を突っ込むようになりました。


アメリカ合衆国1国で全ヨーロッパ全体を上回る経済力と軍事力を備え、超大国として世界の覇者となり、その地位を保ち続けるためにもモンロー主義は足かせになっていました。

世界でアメリカ・ソ連の代理戦争が起こる

アメリカとソ連の対立も最初の争点はヨーロッパでした。ルーマニアなど東ヨーロッパがソ連の衛星国として囲い込まれている中、アメリカのトルーマン大統領は、ソ連に対して長期的かつ忍耐強く断固として「封じ込め」を目的に外交方針(トルーマン=ドクトリン)を提示しました。


アメリカ合衆国にとって、社会主義陣営のさらなる拡大を防ぐためには、同じ資本主義政権で政権を担っている西ヨーロッパの国々が第2次世界大戦後の復興が緊急課題となりました。アメリカ合衆国国務長官マーシャルによって、134億ドルという巨額の資金が西ヨーロッパの復興に投じる大規模な経済援助構想(マーシャル=プラン)が計画されます。。


経済再建を急いだのはソ連や東ヨーロッパも国々も同じで、ソ連は各国の共産政党間との関係を強化するためにコミンフォルム(共産党情報局)を組織し、コメコン(東欧経済相互援助会議)を通じて復興を促しました。


アメリカ・ソ連の両陣営は経済だけでなく、軍事面でも対抗しました。1949年、アメリカ合衆国は反ソ軍事同盟として、西ヨーロッパ諸国と北大西洋条約機構(NATO)を結成しました。西ヨーロッパの各地にソ連を包囲するための米軍基地を建設していきます。


一方のソ連は、NATOに対抗して1955年、東ヨーロッパ諸国とワルシャワ条約機構を結成しました。


このような米ソの対立は、マルタ会談が行われる1989年12月まで30年以上続きますが、米ソという両大国が一度も直接戦火を交えなかったことから冷たい戦争・冷戦と呼ばれていました。


一度も両大国の直接対決が行われなかったのは、第2次世界大戦で使用された原爆のように互いに核兵器を使う核戦争になれば、たとえ実力で勝っていた西側が勝利したとしても、相当な被害を受けると予測されたためです。


ただし、ヨーロッパ以外のアジア・アフリカでは、冷戦の影響によって、米ソの代理戦争とも言うべき戦争が起こります。


その代表例が朝鮮戦争ですね。第二次世界大戦終結後、日本の植民地だった朝鮮半島の南半分がアメリカ合衆国、北半分がソ連の占領下におかれました。朝鮮半島をどのように独立させるべきかで米ソの折り合いがつかなかったことから、1948年、南半分を資本主義体制の大韓民国、北半分は社会主義体制の朝鮮民主主義人民共和国と、別々の国家として独立することになりました。


建国当初から南北は対立し、1950年6月、北朝鮮が南下侵攻を開始したことで、朝鮮戦争が始まります。

朝鮮戦争アメリカ合衆国国連軍として参戦すれば、社会主義国中華人民共和国は中国人民義勇軍と称する大軍を派遣、ソ連も空軍要員を密かに派遣するなど、朝鮮戦争は完全に東西の代理戦争の体をなしていました。


朝鮮戦争指導力を示し、戦争を鎮圧したアメリカ合衆国は、続くベトナム戦争では大きな挫折を味わうことになります。ベトナム戦争では、何の成果も残すことなく、多くの市民・兵士が犠牲にあったことから、国内外から激しい非難を浴びせられ、完全撤退を余儀なくされたのです。これによってアメリカ合衆国の威信は大きく傷ついた格好になりました。

そして冷戦の終結後に残ったのものは・・・

一方、ソ連アフガニスタン侵攻(1979~1989年)でアメリカ合衆国と同じ轍を踏むことになってしまいました。この失敗によって、経済面で追い込まれたソ連を限界となりました。


アフガニスタン侵攻により招かれた経済危機に陥ったソ連ゴルバチョフ書記長のもと、ペレストロイカ(建て直し)とグラスノスチ(情報公開)という言葉に代表される自由主義的改革を実施するともに、アメリカ合衆国との協調、和解へと大きく舵を切ることになりました。


1989年12月に行われたマルタ会談は、ソ連の敗北宣言であると同時に冷戦の終結を宣言するものとなりました。そして、1991年12月にはソ連が解体します。


ソ連の解体によってアメリカ合衆国は唯一の超大国となり、「世界の警察」の役目をより積極的に果たすようになっていきます。湾岸戦争アフガニスタン戦争、イラク戦争などの軍事行動では常に先頭に立ち、世界はアメリカ合衆国中心に動いていくべきものばかりに振舞いました。


しかし、アメリカ合衆国による一連の軍事行動は必ずしも成功とは言えず、世界平和と秩序をもたらす結果とはなっていません。


それでも軍事力、経済力、文化的影響力等の面でアメリカ合衆国に追いつき、追い越せるだけの国がしばらく出てこないと予想される現状において、アメリカ自身がその立場を投げ出さない限り、世界のリーダーとしての地位は、まだ当分揺らぐことはないでしょう。

さて、トランプ大統領の政策が博打か、世界の警察の立場を投げ捨てるものになるのか、歴史マニアとしては今後が楽しみですね。