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第1次世界大戦後、窮地に落されたドイツ・日本の反抗から起きた第2次世界大戦

アメリカ イギリス オランダ ドイツ フランス ロシア イタリア 世界史 近代

Pearl Harbor
※アメリカが参戦するきっかけになったパールハーバーの舞台

世界的格差の広がり、「持たざる国」が窮地に立たされる

第1次世界大戦の戦後処理について話し合うパリ講和会議において、ドイツに「拒否」という選択肢はありませんでした。1919年に決定されたヴェルサイユ条約は、領地没収、損害賠償金などドイツにとっては過酷な内容です。ドイツ国内では反発する声が高まって、のちに強力な指導者を待望する感情につながり、結果としてナチズムの台頭を招く一因にもなりました。


また、第1次世界大戦後、勝者も敗者も関係なく、ヨーロッパ全体の経済は完全に疲弊しきっていました。第1世界大戦の反省、戦争を未然に防ぐための国際連盟が創設されました。

ヨーロッパ全体で疲弊している中、正直に言ってアメリカ合衆国は第1次世界大戦でもっとも得をていた国になりました。北アメリカ大陸が第1次世界大戦の戦場になることもなく、戦争特需と戦後復興のためヨーロッパ諸国への資金融資で大きな利益を上げてます。このときのアメリカが最も経済的に成長し、繁栄を謳歌するきっかけになったと言っても過言ではありません。


第1次世界大戦後のアメリカ合衆国ではまさにバブル経済。大量生産と大量消費の時代を迎え、スポーツや映画、ジャズ音楽、雑誌といったアメリカらしい大衆文化の隆盛へとつながりました。


しかし、そんなアメリカで突如バブルがはじけます。1920年10月、ニューヨーク株式市場で株が突然大暴落しました。この大暴落を受けて状況は一変します。これが世界大恐慌の始まりです。アメリカで始まった不況の波は、融資を受けていたヨーロッパへ、そしてヨーロッパ諸国が支配していた植民地に波及して全世界へと広がりました。


これまでに経験したことのない未曾有の経済危機を前にして、自国に大きな市場を抱えるアメリカ合衆国は、フランクリン・ルーズベルトの指導の下、ニューディール政策と呼ばれる経済政策をとりました。これまで政府が積極的な関与しなかった自由主義から、政府が市場経済に積極的に関与するようになります。


英仏のような世界中に植民地を持つ列強は、本国と植民地間を特定の関税条約を結ぶブロック経済によって、他国を関税障壁を作り締め出しを図って立て直しを狙いました。


アメリカのように国内に大きな市場があれば自力で回復することができます、英仏では植民地や従属国間で貿易を行うことで経済を回すことができます、それでは国内市場が小さく、植民地を持たない国はどうすれば良いか。


ジリ貧のまま破綻を待つか、おとなしく「持っている列強」に従うか、さもなければまた武力をもって力づくでも経済圏を広げるしか道が残っていませんでした。特にドイツ、イタリア、日本では自国で産業革命が起こり、重工業を持つ国々では後者を選択していきます。


ドイツではナチズム、イタリアではファシズム、日本では軍国主義が主導し、軍事力による世界秩序の再編を目指すようになります。

ドイツ・日本の反抗から第2次世界大戦に突き進む

第2次世界大戦の口火は日本だという人もいます。日本の関東軍満州事変を起こして中国東北地方を占領・植民地化して、同地を満洲国として独立させました。この行為で日本が国際連盟からの追及・批判を受けると、すぐさま日本は国際連盟から脱退し、本格的な日中戦争へと突き進んでいきます。


この日本の行為に同調したドイツとイタリアも次々と国際連盟から脱退したことで、第2次世界大戦への道が避けがたくなりました。


イギリスは大戦勃発後の直前まで、当然、世界大戦を起こさないため、現実とならぬようないくつかの動きを見せています。1938年、ドイツがオーストリアを併合し、チェコスロヴァキアズデーテン地方の割譲を要求すると、イギリスは反発することなく、それを認めています。これはスデーテン地方で社会主義勢力のリーダーであるソ連の影響力が高まるよりは、ドイツに譲歩すべきだと判断したためでしょう。


一方、アメリカ世論は、いまだモンロー主義を支持する声が多数を占めていました。ただし、アメリカ合衆国が主導権を握り続けるためには、ドイツや日本に現在の経済秩序を崩されるわけにはいかない懸念を抱いていました。

パールハーバーで重い腰をあげたアメリカ合衆国が大戦の決着を着ける

ドイツは1939年8月にソ連と相互不可侵条約を結ぶと、背後の憂いを除いて同年9月にポーランド侵攻を始めます。さすがにドイツの侵攻を食い止めるため、イギリスとフランスはついに開戦を決意しました。イギリスとフランスが開戦をドイツに宣言したことで第二次世界大戦の始まりです。


ただし、宣戦布告後もイギリスもフランスも世界恐慌から回復の途中にあったので積極的な軍事行動を特に起こさず、ドイツもポーランド占領後は作戦準備のためにいったん次の侵攻を止めました。このため、開戦後の半年間は国境を接するドイツとフランスの間でも大きな戦闘が行われない不気味な状態が続きました。当時は「奇妙な戦争」とも呼んでいました。


しかし、1941年いよいよドイツは侵略行為を本格化させます。ドイツはデンマークノルウェー、そしてフランスへ同時期に軍を進めていきました。このときフランスはたいした抵抗も見せず、わずか1カ月で降伏したのです。その後、ドイツ軍はイギリス本土への爆撃を行い、1941年6月には相互不可侵条約を破棄してソ連へ奇襲攻撃を開始しました。


アメリカ合衆国は世論の根強い反対もあって第2次世界大戦への参戦に消極的でしたが、1941年12月、日本による突然のハワイ真珠湾奇襲攻撃(パールハーバー)を受け、ついに参戦をせざる得なくなりました。


ついにアメリカが参戦したことで、アメリカ、イギリス、ソ連が主力を務める連合軍と、ドイツ、イタリア、日本などからなる枢軸国軍の対立の図式をとりました。


アメリカ合衆国の参戦によって反撃のきっかけを掴んだ連合軍は、1943年9月にイタリアに集中攻撃を行い降伏させました。ソ連は東側からドイツ軍を押し返し、アメリカ・イギリス軍と挟み込んで1945年5月にはドイツの首都ベルリンを陥落させ、降伏に追い込みました。

さらに、最後まで抵抗した日本軍は、原爆をはじめアメリカ軍の攻勢に太平洋戦争の劣勢を覆すことができず降伏することになります。同年8月にはアメリカ合衆国との太平洋戦争で劣勢を覆えせなくなった日本も降伏し、連合軍の勝利が決定的になりました。


最後は東京湾内停泊のアメリカ海軍戦艦ミズーリ艦上において、アメリカ、中華民国、イギリス、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダなど連合諸国17カ国の代表団臨席の元、日本の外務大臣が対連合国降伏文書への調印がなされたこで、7年間、8000万人もの命を奪った第2次世界大戦はようやく終結を迎えました。

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