読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

植民地の奪い合いにドイツが参加したことで加速した第一次世界対戦

Verdun
※最も激しく長引いた大戦跡地のヴェルダン、ヴィルヘルム皇太子はヴェルダン攻略に固執したことがドイツの敗戦の原因となる

イギリス、生き残りを賭けて「栄光のある孤立」を捨てる

19世紀、中世から近代になり、エネルギー資源の主役が石炭から石油や電気に変わりました。そして、ヨーロッパ諸国の列強では、軽工業から重工業が発展していきます。綿工業から重化学工業、電気工業、鉄鋼業などが盛んとなり、第二次産業革命へと突入することになります。。


特に、アメリカ合衆国とドイツの成長が著しく、国際経済を牛耳っていたイギリスの立場も少しずつ揺らぎ始めていました。


ドイツでは、1890年にビスマルクが退陣し、皇帝ヴィルヘルム2世による親政が開始されます。ビスマルクが協和政策を打っていたことから方向転換し、ヴィルヘルム2世は武力により本格的な世界進出に乗り出していきました。


19世紀後半、イギリスがスエズ運河の株式を買収したあたりから、列強によるアジア・アフリカの植民地化が本格化しています。


ヨーロッパの列強による世界進出帝国主義と呼んでいます。帝国主義では、新しい植民地の獲得競争から列強同士の植民地の奪い合いへと発展していきます。植民地の奪い合いを最も積極的に展開したのがドイツでした。


一方で、ドイツの攻撃対象になっていたのがイギリスでした。


国際財政が悪化して、影響力を低下していたイギリスは、ドイツに対抗するため、外交政策の大転換を図らざるを得なくなります。これまでの「光栄ある孤立」を捨て、他国と同盟を結ぶ道を選択しました。具体的には、イギリスは1902年に日英同盟を結び、1904年には英仏協商、1907年には英露協商を結びました。

植民地の再分割を狙うドイツ

帝国主義国の仲間入りを果たしたドイツでしたが、すでにアジア・アフリカの地域では他の列強に植民地化が進み、手つかずの地はすでにありませんでした。ドイツが実力にふさわしい立場を得るために、植民地の再分割が早道だと考えるようになりました。このドイツの野心が第一次世界大戦につながっていきました。


オスマン帝国の支配力が弱まったバルカン半島は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほどの緊張状態に陥っていました。


1878年のベルリン条約によって、ロシアの後押しを受けたセルビアモンテネグロブルガリアが独立する一方、オーストリア=ハンガリー帝国は、ボスニア=ヘルツゴヴィナを支配下に置きました。そして、かつてのバルカン半島の支配者であったオスマン帝国はドイツに接近していました。バルカン半島を挟んで、欧州列強がにらみ合う状態となりました。


バルカン半島ではいつ戦火で発生してもおかしくない状況のなかで、その事件は起こりました。1914年6月28日、オーストリアハンガリーの帝位継承者夫妻がサライェヴォで、セルビア人で構成された過激派組織によって暗殺される事件が起こります。これがサラエヴォ事件です。


サラエヴォ事件がセルビアオーストリア外交問題となり、ついには第一次世界大戦へ発展していきます。サラエヴォ事件を受けてロシアがセルビア支援を開始され、ドイツは植民地再分割の野心を秘めてロシア、続いてフランスに宣戦布告しました。


このドイツの宣戦布告を受けて、イギリスはドイツに宣戦布告し、ヨーロッパ全土まで拡大しました。


この戦争はのちに日本とアメリカ合衆国も参戦し、中国にあるドイツ租借地で日独の戦争が行われたことで、アジアやアフリカの植民地が兵力としてヨーロッパ戦線に動員されたことなどから、全世界を巻き込む史上初めての世界大戦となりました。


当時、欧州列強は三国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)と三国協商(イギリス、フランス、ロシア)という2つの陣営に分かれています。


三国同盟側にはオスマン帝国ブルガリアなどが加わりますが、実質的にドイツ一国が支える状態でした。一方、対する三国協商側には、セルビアモンテネグロ、日本などが加わり、連合国が構成されます。両陣営はたくさんの兵士を各地の戦場に送り込み、激しい戦いを繰り広げていきました。

第一次世界大戦、人類初の世界大戦は何を残したのか?

第一次世界大戦の影響で、ヨーロッパ全体が大きな被害を受ける中、アメリカ合衆国モンロー主義の原則に従って中立の立場を貫いていました。しかし、戦争では直接参加していませんが、イギリスに資金猶予や物資援助を行い、一部協力関係にありました。


そんな中で、アメリカ人が多く乗るイギリスの客船がドイツ潜水艦によって撃沈されるという事件が起こりました。さらに、ドイツが国籍を問わず無差別攻撃作戦(無制限潜水艦作戦)を始め出したため、1917年4月、アメリカ合衆国連合国側に立って参戦することになりました。


同年、アメリカだけでなく、ロシアでも大きな動きが起こりました。総力戦に耐え切れず、ロシア革命が起こりました。このロシア革命によって、ツァーリ政府が倒され、社会主義政権が成立しました。即時停戦を訴えていたロシアの社会主義政権はドイツと単独講和を結び、第一次世界大戦から手を引きます。


アメリカ合衆国の参戦してから、ドイツが徐々に劣勢に回っていくと、1918年11月、ドイツ革命が起こりました。この結果、ヴィルヘルム2世はオランダに亡命することになります。ヴィルヘルム2世が亡命したことで、ドイツが降伏し、ようやく第一次世界大戦終結となりました。


第一次世界大戦の結果、ロシア帝国ドイツ帝国オーストリア帝国オスマン帝国という4つの帝国が崩壊することになりました。しかし、長期化した戦争の影響から国民の生活が圧迫されました。敗戦国のドイツをはじめ、ヨーロッパ各国で社会主義勢力が広がり、特に大戦中にロシア革命が起きたにロシアでは1922年に社会主義政権のソビエト連邦となります。

お勧めの映画

第一次世界大戦中の伝説、今も語り継がれる、クリスマス一夜の休戦エピソード

戦場のアリア スペシャル・エディション [DVD]

戦場のアリア スペシャル・エディション [DVD]