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第2次百年戦争、世界各地でイギリスとフランスが火花を散らす

世界史 世界史-西洋史 中世 イギリス オランダ フランス

Industrial revolution
産業革命のイメージ

世界各地で英仏の覇権争いかま火花を散らす

夫婦で国王になったウィリアム3世とメアリ2世でしたが、2人の間には跡継ぎができませんでした。


そのため、メアリ2世の妹アンがイギリス王位を継ぎます。しかし、アンもまた跡継ぎを残さなかったことから、縁戚でドイツの貴族だったハーノヴァー選帝侯ジョージ1世としてイギリス王となりました。


しかし、このジョージ1世が問題児でした。

なんとこのジョージ1世はそもそも英語ができなかったのです。まぁ、ドイツで生活していた貴族が急にイギリスに連れていかれて、王をやれ、って言われてしまったんだから同情するところもあります。そんな王を選んだイギリス王朝がダメだったんでしょう。


そして、英語ができないことをバカにされるのが嫌になって、ジョージ1世は議会に顔を出すこともなく、政治を全て内閣に任せるようになりました。


しかし、これが現在のイギリスにもつながる『王は君臨すれども統治せず』の伝統を作った最初の王になり、責任内閣制の始まりになります。イギリス王朝ないし、内閣側の思い通りになったわけです。


この頃からイギリスはオランダに代わって台頭してきたフランスと覇権争いをすることになります。


そのフランスですが、当時はブルボン朝廷による絶対王政が行われていました。ブルボン朝の代表的な絶対君主であったルイ14世は、フランス国内で続く内乱によって弱体化した諸侯を抑えて、王権を強化していきました。


さらに、これまでポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなど列強等に先に行かれていて、貿易戦略に討って出て、列強と同じく重商主義政策に舵を切り替えました。そして、1664年に遅れてフランスも東インド会社を設立しました。


そして、ヨーロッパ大陸で領土的野心を示し、南ネーデルランド継承戦争、オランダ侵略戦争スペイン継承戦争を展開していき、領土を広げていきます。


まさに、歴史は繰り返すです。オランダが大きくなり過ぎたら、今度は内乱を制圧に成功したフランスがオランダを追い詰めていくのです。


フランスの世界進出が本格化させたのは17世紀半ばで、このときフランスがイギリスの最大のライバルとなりました。


そのため、イギリスとフランスはヨーロッパの戦争が起こるたびに首を突っ込み、ことごとく対立していきます。イギリスが味方した側に、フランスは攻撃を仕掛けていきます。


イギリスとフランスの対立はどんどんとエスカレートしていき、ヨーロッパ以外の植民地でも行われてきます。


イギリスとフランスが対立する戦争を挙げていくだけで、ファルツ継承戦争の時はウィリアム王戦争、スペイン継承戦争の時はアン女王戦争、オーストリア継承戦争のときはジョージ戦争、七年戦争のときはフレンチ・インディアン戦争をアメリカで起こしています。インドでもプラッシーの戦い、などなど。それこそヨーロッパ全土で行われています。


この世界進出を巡る英仏間の争いは中世の百年戦争と区別するために、第二次百年戦争と呼ばれています。この一連の戦争でフランスはイギリスに負け続け、カナダとミシシッピ川以東のルイジアナをイギリスに割譲することになりました。


結局、フランスはすべての北米植民地を失い、さらにインドからも撤退することになります。

イギリスの飛躍的成長を可能にした3つの革命

イギリスとフランスの勝敗を分けた要因は何だったのでしょうか。


その1つに、政府体制の違いが挙げられます。議会主導の政治に移行していたイギリスは、関税や直接税、消費税、国際支えられる近代的な財政国家に生まれ変わり、兵站や補給、動員など、対外戦争を支える体制がしっかり整えられていました。


対するフランスでは、ルイ14世ヴェルサイユ宮殿造営のために莫大な資金を投じたかと思えば、ナントの王令を廃止したことで商工業の中枢を担うユグノーの大量流出を招くなど、政治も財政も安定しない状況にありました。


イギリスがこのような近代国家として盤石な体制を築くことができた背景には、産業革命、交通革命、財政革命という3つの大革命があります。


産業革命のきっかけとなったのは、綿製品の大ブームがあります。


イギリスは1600年にイギリス東インド会社を設立してインド貿易を開始しますが、インドから輸入した綿製品(インド産綿布)がイギリス国内で大ヒット商品となります。それに加えてイギリス商人による奴隷貿易でインド産綿布がアフリカ東海岸にも輸出されるようになると、需要は高まる一方となりました。


そこで、輸入品だけに頼るのではなく、イギリス国内で綿製品を生産しようとする業者が増えていきます。ただし、手作りでは品質にばらつきが出るし、大量生産もできません。


このような背景のもとで、品質の安定した綿製品を大量生産できる紡績機や力織機などの機械が発明されたのです。産業革命では様々な発明品が生まれますが、その中で最も重要な発明が機械の動力となる蒸気機関です。


蒸気機関の登場は、さらに交通革命も実現させます。


より大きな利益を得るためには、工場から自国の港、さらには輸出先の港へと、できるだけ効率よく製品を運べるようにするのがよいに決まっています。そこで、運河や鉄道が整備され、蒸気機関車や蒸気船の開発が進められたのです。


また、議会政治のもとで安定した税収は、周辺諸国からの信用獲得にもつながりました。


1694年、イギリスの中央銀行にあたるイングランド銀行が創設されました。中央銀行が創設されたことで、国債市場が成立します。有利な投資先として、諸外国もイギリス国債が人気を呼ぶことになります。


特に熱心にイギリスに投資したのは、かつての競争相手のオランダでした。こうして集めた資金の多くを軍事費にあてた結果、イギリスはフランスを圧倒できるほどの軍事態勢を整えることができたのです。


このようにして、イギリスは工業化が推し進められ、金融市場を拡大させたイギリスは、「世界の工場」とも「世界の銀行」とも呼ばれるようになりました。

パクス=ブリタニカと呼ばれる大繁栄の時代へ

イギリスの対外戦争や宮廷の浪費などが原因で財政困難になっていたフランスではフランス革命がおこります。


1789年7月14日、パリ市民によるバスティーユ牢獄襲撃をきっかけに王政が廃止され、そこからフランスは第一共和制と呼ばれる議会政治に移行しました。


しかし、革命政府は次第に政策が先鋭化していき、やがてロペスピエール率いるジャコバン派の恐怖政治に行きつきます。この恐怖政治はクーデターで終わりを告げましたが、その後も政局は安定しませんでした。


その混乱を収めて、ヨーロッパ大陸の主役に躍り出たのが、軍人出身でのちにフランスの皇帝になるナポレオンです。


軍の力でフランスの政権を掌握したナポレオンは、積極的にイギリスなどの諸外国と戦争を行い、ヨーロッパ大陸を席巻します。さらに、1804年5月には皇帝に即位し、ナポレオン1世として帝政(第一帝政)を開始しました。


トラファルガーの海戦こそ、イギリス海軍率いるライバル・ネルソン提督の奮闘もあって惨敗を喫しましたが、強力な陸軍を擁したナポレオンはプロイセンオーストリアに勝利し、一時はヨーロッパの大部分を支配するほどの勢いをみせました。


しかし、次第にその勢いは失われ、ワーテルローの戦いで再びイギリスに敗れるとこととなりました。このことは第二次百年戦争におけるフランスの完全敗北を意味しました。


対するイギリスには、ヨーロッパ大陸における領土的野心はなく、その視線は広く世界に向けられていました。イギリスが目指したのは、国際的経済の覇者になること。それには、自国製品を売るための、できるだけ広大な市場を確保する必要がありました。


世界中をイギリスが主導する自由貿易市場に変える、これがイギリスの大きな野望でした。自由競争になれば、イギリス製品が必ず勝つ、当時のイギリス人の多くは、そんな自信に満ち溢れていたのです。


もし相手が自由貿易を拒んだときは、強大な軍事力を背景に相手国との間で不平等条約を結び、イギリス主導の自由貿易市場へ組み入れていきます。これは自由貿易帝国主義とも呼ばれ、あとに続いたヨーロッパ列強もイギリスのやり方をまねるようになっていきます。


また、広大になりすぎたイギリス植民地の統治にも手を加えていきます。植民地が広ければ広いほど、それだけ防衛や統治に関するコストが増えていきます。


そこで、数ある植民地のうち、イギリス本土からの入植者が多数を占めており、イギリスに反抗する恐れのない地域については自治領として、イギリス本国の負担を軽くします。現在のカナダやオーストラリア、ニュージーランド南アフリカなどはこうしてイギリスの自治領となった国です。


このような世界経済戦略によって、イギリスは繁栄の極みを迎えます。この時代はパクス=ブリタニカ(イギリスが平和の秩序)とも称されました。ただし、輝きが強ければ強いほど影の部分も色濃く、イギリスの本国では急速な工業化によって労働時間や公害問題が深刻化して、労働者を救済するための社会主義思想も広まりつつありました。


1820年頃から、イギリスでは手数料、通信料、保険料、利子・配当収入などからなる貿易外収支が貿易収支を上回るようになります。これも相まって国際金融の覇者ともなったイギリスの通貨ポンドは、世界でもっとも信用度の高い通貨となりました。

ここから2つの世界大戦を経て、覇者がイギリスからアメリカへと移ることになりますが、ポンドは国際的信用を失うことなく、国際金融の世界ではいまだにアメリカに匹敵する強い力を持っています。

こうしたイギリス・ポンドに対する強い自信が、EUには加盟しながら、統一通貨をユーロは導入しないという路線を決定付け、さらには2016年6月にイギリスでEUそのものから離脱することの是非を問う国民投票が実施され、離脱に賛成する票が過半数を占めました。

この背景には様々なことが考えられますが、少なからず誇張された「強いイギリス」への懐古の情も働いていたんじゃないかと思うばかりです。実際にイギリスがEUを離脱した後、どのような現実が待っているか、決して楽観的なものではありませんよね。

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