ポルトガルとスペインが世界を二分割した大航海時代

Karavelle Santa Maria im Museumshafen in Palos de la Frontera.  -- Caravel Santa Maria in the museum harbor in Palos de la Frontera.
コロンブスが大西洋横断のため出発したとされる港 パロスデラフロンテーラ

香辛料を求めまだ見たことがない土地へ

僕が西洋史の中で一番ロマンを感じる時代が“大航海”時代です。大航海時代は、まだ誰も見たことのない土地へ、自分の富と名誉のために冒険を始めた時代です。ONE PIECEを実際に体現していた時代といっても時代だったかもしれませんね。


大航海時代と定義されるのは、15世紀末から17世紀です。大航海時代から世界の中心がまるで西ヨーロッパ
諸国のものになるのでは、と思うほど西ヨーロッパ諸国中心で展開されていきます。


西ヨーロッパ諸国の冒険家は王の命を受けて次々に海を渡って、外の世界へと飛び出していきます。大航海時代で先陣を切って海へ飛び出していったのは、この時代の覇者となるポルトガルとスペインの2強でした。


なぜポルトガルとスペインから大航海時代が始まったのか、それには3つの理由がありました。


1つ目の理由は、宗教熱。15世紀まではポルトガルとスペインは小さい王国でしかなく、イベリア半島のほとんどがイスラム勢力によって支配されていました。この状況を打破するため、両国の国民はレコンキスタ(国土回復運動)といって、イベリア半島からイスラム勢力の排除する運動を始めます。レコンキスタの始まりも宗教的争いでした。


このレコンキスタ(国土回復運動)によって、ポルトガルとスペインの国民は、他の西ヨーロッパ諸国よりも、領土拡大への意欲とキリスト教の布教に対する意識が高くなっていたわけです。


1492年にイベリア半島からイスラム勢力が駆逐に成功したことから、レコンキスタが完了されたのですが、地中海を挟んだアフリカ大陸にもイスラム勢力は広がっています。


そのため、特にスペインより先に国土を回復したポルトガル宗教戦争を続け、アフリカにあるイスラム勢力の領土を奪い、キリスト教を布教しようという意欲を燃え立たせていくのです。


2つ目の理由は、ポルトガルとスペインの両国は、他の西ヨーロッパ諸国に比べて、国王への権力集中が進んでいたためです。レコンキスタによって誕生したポルトガルとスペインは、強い王室が神と崇められながら、王室中心に国家の体制が確立されていきます。


こうして生まれた王権の強さは、冒険的大航海を決断するのに有利に働いたわけです。王の命令には逆らえなかった、あるいは王が独断で決定を下すことができた、ために冒険者が海へ飛び出すことができました。


3つ目の理由は、航路の確保です。じゃあ大航海の目的は何だったのかというと、キリスト教を布教することもありましたが、最大の目的は香辛料貿易の参入です。香辛料を使って貿易をしたかったわけですね。


当時の胡椒をはじめとする香辛料は肉の調理や保存には欠かせない食材として、ヨーロッパ社会では生活に欠かせないものとなっていました。


しかし、当時の香辛料貿易はイスラム商人とイタリア商人が独占してまいた。インド等の産地からヨーロッパで最も西にあるイベリア半島へ渡ってくるためには、西アジア、地中海を経由しなくてはならず、イベリア半島に香辛料が付くころには、かなり高値が付けられてしまいました。


そこでポルトガルとスペインは、香辛料を産地から直接買い付けることができれば、安く香辛料が手に入り、莫大な利益になると踏みました。そのため、ポルトガルとスペインは香辛料の産地と思われていたインドへの新航路の開拓にしのぎを削ることになります。


先行したのは、やはり一足早くレコンキスタを終えたポルトガルで、アフリカ南廻り航路の開拓を目指します。エンリケ航海王子の指揮のもと、アフリカ沿岸の探検航路が始まり、やがて、1488年にバルトロメウ=ディアスがアフリカ大陸最南端の喜望峰に到着しました。


後手に回ってしまったスペインは、ポルトガルが先行しているアフリカ南廻りとは異なる新航路開拓を目指さなければなりません。ここで登場したのが、イタリアのジェノヴァ出身の船乗りコロンブス


当時のヨーロッパでは、アメリカ大陸の存在がなんて知られていませんでした。そのため、コロンブスは大西洋を渡ればインドへ到達できると考えていました。この発想やはりただものではありません。


そして、大西洋を渡った先にインドがあると信じ、コロンブスはスペイン王から出資を受けて船団を組み、大西洋横断を達成。その航海で辿り着いたのが、サン=サルバドル島(現在のバハマ)です。

世界各地に領土を持ち、全盛期を謳歌したスペイン

航路開拓戦争が加熱していくと、ポルトガルとスペインはローマ教皇との仲介を受けて、1494年トリデリャス条約を締結します。ローマ教皇としては、航路を開拓と同時にキリスト教を布教しているこの2国を擁護しないメリットはないわけです。


このトリデリャス条約、内容が無茶苦茶です。トリデリャス条約で、西経46度37分を通過すると子午線を境界として、それより西側をスペイン領、東側をポルトガル領とすることが取り決められました。つまり、世界はスペインとポルトガルのものね、とローマ教皇がOKを出したのです。ローマ教皇よ、お前は何様だ!となるでしょう笑


とくにかくにも世界の西半分をスペイン、東半分をポルトガルという滅茶苦茶な取り決めが成立するほど、この大航海時代では、スペインとポルトガルの2か国が栄華を極めきっていたことが分かりますね。


このトリデリャス条約を背景に、スペインはアメリカ大陸、ポルトガルはアジアに主軸を置いてどんどん侵攻を開始します。


スペイン・ポルトガル両国も航路を維持するためには、たくさんの航路の途中で補給地点を確保しなければなりせん。さらに、目的地には貿易拠点も確保する必要がありました。


インドから東南アジアへ到達したポルトガルはアフリカ沿岸部やインド西海岸に航路を守るための要所要所に要塞を建設し、例えば、インドのゴア、マレー半島のマラッカなどを貿易拠点として、念願の香辛料貿易を始めます。


一方、アメリカ大陸に到着したスペインは、香辛料の入手という当初の目的を達成できませんでした。代わりにアメリカ武力で植民地化し、先住民や黒人奴隷を使ったプランテーションを経営したり、銀鉱山を開発したりすることで利益を得ていきます。


ポルトガルのアジア貿易とスペインのアメリカ植民地支配は、どちらも国家事業として行われていたため、利益はすべて王室の金庫へ流れる仕組みとなります。その結果、16世紀前半、ポルトガルとスペインはともに金銭的にも繁栄を謳歌しました。


ここからヨーロッパをリードするのスペインとなります。もともと西ヨーロッパの名高い貴族ハプスブルク家のカルロス1世が1516年にスペイン王として即位します。1519年にはカール5世として神聖ローマ皇帝にも即位し、オーストリアをはじめとするハプスブル家領のすべてと、ブラジルを除く中南米のすべてを手中にしました。


さらに、カルロス1世の息子フェリペ2世の時代にスペインは全盛期を迎えました。1580年、母親がポルトガル王家出身だったことで、フェリペ2世はポルトガル王を兼ねることになったのです。その結果、ポルトガル領となっていたブラジルとアジア植民地もフェリペ2世のものとなり、地球1周を領土にしたことでスペインは「太陽の沈まない帝国」と超大国となっていくのです。


このスペインの絶対支配もそう長くは続きませんでした。スペイン王国の崩壊は国内の反乱から始まります、続きはまた次の機会に。

今日のオススメ映画~コロンブス 永遠の海~

大航海時代の英雄コロンブスを主人公にした映画です。コロンブスがアメリカ大陸到達500年を記念に作られた作品です。コロンブスのアメリカ大陸到達は、原住民の人権はおろか、人格を無視した侵略、略奪、植民地化が始まります。歴史上の評価はとにかく、ヨーロッパが世界史の主役となる出来事に間違いありません。この当時のスペイン・ポルトガルのことがよく分かる作品。