日本

「徳川四天王」井伊直政、本多忠勝などの子孫は明治時代以降も受け継がれていた

「徳川四天王」は戦国時代が終わった後も受け継がれていた 主に武力と忠義をもって、徳川家康を支え、その天下取りに比類なき貢献を果たした酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政。泰平の世が訪れた後、彼ら「徳川四天王」とその家系はどうなったのでしょ…

織田信長よりも先に比叡山を焼き払った“クジ運の強い”将軍・足利義教

室町幕府でもくじ引きで決まった“足利義教”の恐怖政治 室町幕府獏に府は歴代15人の将軍がいたが、「くじ引き」という前代未聞の選出方法で6代将軍に就いたのが足利義教です。 1425年に5代将軍・義量が19歳の若さで夭折すると、幕府は将軍空位の時代が続…

井伊家の復興の活躍は直虎の次の城主・井伊直政

井伊家の転機でもあった徳川家康との出会い 1561年2月9日、井伊直政は遠江の国井伊谷祝田村で生まれました。父は井伊直親、母は奥山親朝の娘です。虎のように強く、松のように末永く栄えることを願い、幼名を虎松と名づけられました。大河「おんな城主 直虎…

なぜ徳川家康は秀頼を執拗に追い詰めなければならなかったのか?

関ケ原の戦いに勝利した後も徹底的に豊臣を攻撃した徳川家康 関ケ原の戦いが終わった後になっても、徳川家康が豊臣秀頼を執拗に追い詰めたことはよく知られた話ですね。関ケ原の戦いをきっかけに明らかに豊臣方には徳川家康に対抗できるだけの力は残っていな…

日本経済を掌握した財閥と財閥に対する反発がテロや戦争に繋がった

※三菱財閥の祖・岩崎弥太郎の生家 幕末特定の商人に力を与えて作られた財閥 昭和初期、都会でも田舎でも、貧しい生活を余儀なくされていましたが、このごろから一部の財閥が巨大な富を独占していました。財閥というのは、特定の一族が巨大な企業集団を形成し…

武田信玄は長篠の戦いを予想して、病をおしてでも西上作戦をしなければならなかったのでは?

武田信玄は経済的にも大きなハンデを持っていた 織田信長の最大のライバルと言えば誰を思い浮かべますか?私の場合、織田信長とこの人が戦をすればどっちが勝ったのだろうか?と考える人は武田信玄です。 織田信長の最大の危機と言えば、武田信玄が信長包囲…

世界大恐慌中に日本の造船技術が向上して欧米諸国との経済摩擦に

日本の造船業の発達がイギリスとの経済対立に発展 明治以降、日本は奇跡的な経済成長を遂げてきた。明治維新から第2次世界大戦までの70年間で、日本のGNPは約6倍に増加しています。実質賃金は約3倍、実質工業生産は約30倍、実質農業生産は約3倍になっていま…

石見銀山の散歩道をぶらり歩いて毛利元就を憂いた

宝の山“石見銀山”を領有していた毛利元就 戦国時代、全国統一のところまであと一歩だったのは織田信長は当然のお金持ちです。しかし、織田信長よりも圧倒的な経済力を持っていたかもしれないのが毛利元就です。毛利元就は、絶頂期には中国地方の全域の8ヵ国…

日本最初のクーデターを成功させた武将・源頼朝

源平合戦は旧式の武士団と新興の武士団との戦でした 源平合戦は、西の武家の棟梁だった平家VS東の武家の棟梁である源氏の決闘というイメージがされていると思います。確かに結果としてはそのイメージで間違いありません。しかし、両者にとって圧倒的な違いが…

成り上がり毛利元就はつぶやきで戦を巧みに操作した

年収を100倍にした元就 今回は、毛利元就の話をしたいと思います。安芸国(現在の広島県の西部)吉田の三千貫の小身から山陰山陽十ヵ国の主となっていました。戦国時代のサクセスストーリーの典型のような男です。 といっても、名前は聞いたことあるけど、ピ…

黒船来航から裏目裏目に出た江戸幕府の対応

黒船の衝撃と、通商条約の締結 嘉永6年(1853年)、アメリカのペリー提督による4隻の軍艦、いわゆる黒船が横浜の浦賀沖に来航しました。彼らは日本との交易を求め、大統領の親書を携えてやってきたのです。しかも、「断れば一戦も辞さず」という強硬姿勢さ…

江戸幕府の鎖国、江戸幕府は内に閉じこもってなどいなかった

※対馬藩の城下町 江戸幕府は鎖国しているわけではなかった? 江戸時代には、「鎖国」政策によって海外との交流を拒絶していた----そのようなイメージを一変させるエピソードを紹介したいと思います。 1673年、イギリス船が長崎の出島に来航して貿易の再開を…

大久保利通は権力に溺れた独裁者だったのか

大久保利通像@鹿児島市 大久保利通「悪者」観への挑戦 「維新三傑」と並び称される西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通の3人のうち、郷里鹿児島の士族と共に死の道を選んだ西郷、政府内の融和に苦心しながら病に倒れた木戸に比べて、大久保利通の評価は“嫌われ…

江戸時代の経済状態は大名の参勤交代から見れば分かりやすい

江戸の経済を発展させた参勤交代 江戸幕府を特徴的な制度として参勤交代がありますよね。参勤交代はとは、将軍が大名統制する政策の一つとして、江戸と国元の往復を義務付けた制度です。 大名は原則として1年ごとに江戸と自分たちの藩を繰り返しました。そ…

歴史を振り返っても、戦争は政府の都合でしかない。~古代の朝廷はどうして白村江の闘いに向かったのか~

※百済考古遺跡 戦争への引き金は何か? 戦争というと、国の間で生じた紛争や対立を、部力を行使して解決しようとすることです。まさに今の北朝鮮の問題で、アメリカが北朝鮮へ軍事介入をしてしまえばそれは戦争と呼ぶことになります。 戦争で争われる問題は…

源頼朝以降の鎌倉幕府将軍は北条氏の操り人形だった、なぜ北条氏が将軍にならなかったのか?

※源頼朝所縁の鶴岡八幡宮、彼は鎌倉幕府が妻とその一族に乗っ取られると予想していたのでしょうか? 将軍を影で操る北条氏 日本史の中では、実権を握っても組織のトップには立たずに、民衆の前で表立つリーダーを裏で操っていたケースが見受けられますよね。…

豊臣秀吉のために全財産を投げ打って関ケ原の戦いに挑んだ石田三成

主から与えられた財産は主のために使えが戦国のルール 石田三成と言えば、関ケ原の戦いで敗北した負けた武将としてのイメージがほとんどですが、秀吉の下で小姓の身分から関ケ原で西軍を率いる将にまで出世したのでそれはそれは大変優秀な武将で、戦後時代の…

蒙古襲来絵詞読み解く鎌倉武士のスタンドプレー

“蒙古襲来絵詞”が書き遺された理由 中学校のとき、元寇の様子を描いた絵画資料として、“蒙古襲来絵詞”を教科書などで見たことはないでしょうか。 左手には毒矢を放つモンゴル軍、中央では「てつはう」と呼ばれる火薬兵器の轟音がとどろき、右手には真っ赤な…

分散されていた権力を再び中央に戻した豊臣秀吉の政治・経営的手腕

日本の近世=自力解決が否定される時代へ 応仁の乱から続いた戦国の世は、16世紀半ばのヨーロッパ来航が一つの引き金となって、織田信長・豊臣秀吉による天下統一へ進みます。 日本史の時代区分では、これ以降を近世としていますが、そこには、中世における…

中国の歴史は漢民族と異民族の抗争の歴史

初めて中国を統一した始皇帝 中国は早くから文明が発達した地域の1つで、皆さんもご存知の通り、中国文明は世界4大文明の1つに数えられています。中国大陸を流れる2つの大河である黄河と長江の流域で稲作が前6000年ごろから発達しました。 土地柄と気候…