戦国武将

義久が考案したという釣り野伏せを弟たちが用いた島津の最強伝説

関ヶ原の戦いの島津義弘陣跡 戦国最強と呼ばれた島津四兄弟 1582年、天下布武を目指した織田信長が本能寺の変に倒れ、信長を討った明智光秀を破った羽柴秀吉が天下をその手中に収めようとしていました。 その翌々年の1584年、台頭してきた肥前国の龍造寺氏を…

圧倒的な戦力不足でも武田信玄と戦うしか選択肢が残されていなかった徳川家康

信玄の巧妙なる罠に見事に陥ってしまった徳川家臣団 武田信玄によって完膚なきまでに叩きのめされた三方ヶ原の戦いは、天下人・家康が敗軍の将となった唯一の戦です。1572年5月、将軍足利義昭は信玄に信長を討伐すべく御内書を送り、朝倉、浅井などの諸大名…

本能寺の変の現場から早朝に逃げていた博多の商人・島井宗室の謎

本能寺の変の前の不可解な茶会 1582年、天下統一を目の前にして、織田信長は、明智光秀の裏切りにあって殺されました。謀反に際して『敵は本能寺にあり』と言ったとされる光秀は現在裏切り者の代名詞として広く知られています。 一方、戦国時代には、そうし…

伊達政宗が帝国スペインと組んで幕府を転覆させるクーデターを計画していた?

伊達政宗が軍事同盟を結ぶためにスペインに接触していた!? 独眼竜の異名を持つ戦国武将・伊達政宗。政宗は、幼少期に天然痘を患ったせいで右目を失ってしまいましたが、隻眼のハンデをものともせず、伊達氏を名家に成長させた反骨の名将です。 その政宗を…

「徳川四天王」井伊直政、本多忠勝などの子孫は明治時代以降も受け継がれていた

「徳川四天王」は戦国時代が終わった後も受け継がれていた 主に武力と忠義をもって、徳川家康を支え、その天下取りに比類なき貢献を果たした酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政。泰平の世が訪れた後、彼ら「徳川四天王」とその家系はどうなったのでしょ…

井伊直虎だけではない、強く美しく戦国時代を生きた戦国姫

井伊直虎だけじゃなく、武闘派の戦国女子たち 大河ドラマ「おんな城主・直虎」も、高橋一生演じる小野政次が処刑されて、いよいよ佳境に差し掛かっていますね。「おんな城主・直虎」のヒロイン・井伊直虎は、戦国時代に男の名前で家督を継いだ「女城主」です…

井伊家の復興の活躍は直虎の次の城主・井伊直政

井伊家の転機でもあった徳川家康との出会い 1561年2月9日、井伊直政は遠江の国井伊谷祝田村で生まれました。父は井伊直親、母は奥山親朝の娘です。虎のように強く、松のように末永く栄えることを願い、幼名を虎松と名づけられました。大河「おんな城主 直虎…

なぜ徳川家康は秀頼を執拗に追い詰めなければならなかったのか?

関ケ原の戦いに勝利した後も徹底的に豊臣を攻撃した徳川家康 関ケ原の戦いが終わった後になっても、徳川家康が豊臣秀頼を執拗に追い詰めたことはよく知られた話ですね。関ケ原の戦いをきっかけに明らかに豊臣方には徳川家康に対抗できるだけの力は残っていな…

武田信玄は長篠の戦いを予想して、病をおしてでも西上作戦をしなければならなかったのでは?

武田信玄は経済的にも大きなハンデを持っていた 織田信長の最大のライバルと言えば誰を思い浮かべますか?私の場合、織田信長とこの人が戦をすればどっちが勝ったのだろうか?と考える人は武田信玄です。 織田信長の最大の危機と言えば、武田信玄が信長包囲…

石見銀山の散歩道をぶらり歩いて毛利元就を憂いた

宝の山“石見銀山”を領有していた毛利元就 戦国時代、全国統一のところまであと一歩だったのは織田信長は当然のお金持ちです。しかし、織田信長よりも圧倒的な経済力を持っていたかもしれないのが毛利元就です。毛利元就は、絶頂期には中国地方の全域の8ヵ国…

成り上がり毛利元就はつぶやきで戦を巧みに操作した

年収を100倍にした元就 今回は、毛利元就の話をしたいと思います。安芸国(現在の広島県の西部)吉田の三千貫の小身から山陰山陽十ヵ国の主となっていました。戦国時代のサクセスストーリーの典型のような男です。 といっても、名前は聞いたことあるけど、ピ…

豊臣秀吉のために全財産を投げ打って関ケ原の戦いに挑んだ石田三成

主から与えられた財産は主のために使えが戦国のルール 石田三成と言えば、関ケ原の戦いで敗北した負けた武将としてのイメージがほとんどですが、秀吉の下で小姓の身分から関ケ原で西軍を率いる将にまで出世したのでそれはそれは大変優秀な武将で、戦後時代の…

分散されていた権力を再び中央に戻した豊臣秀吉の政治・経営的手腕

日本の近世=自力解決が否定される時代へ 応仁の乱から続いた戦国の世は、16世紀半ばのヨーロッパ来航が一つの引き金となって、織田信長・豊臣秀吉による天下統一へ進みます。 日本史の時代区分では、これ以降を近世としていますが、そこには、中世における…