蒲生氏郷、秀吉に愛され、重用された名将を暗殺したのは 、じつは秀吉本人だった ! ?

蒲生氏郷由縁の会津若松城蒲生氏郷由縁の会津若松城 いつ主君に裏切られるか分からない戦国時代 誰からも信頼された文武両道の優しき武将名将として知られ 、主君の信頼が篤い武将とて一寸先は闇──そんな時代が戦国時代ですね。 主君の信頼を得ていたのにも…

のらりくらりと生き延び、江戸時代まで織田家の血脈を繋げた織田信長の次男・信雄

信雄が焼き払ってしまった安土城 兄弟と比較して戦功が振るわなかった信雄 織田信長の生存中、その覇業に関わった息子は、長男の信忠、次男の信雄、三男の信孝の3人の兄弟がいる。信忠と信雄の母親が生駒氏であり、三男の信孝の母が坂氏で、戦国時代では珍…

上野彦馬、戦場カメラマンの先駆者、幕末志士を撮影し、日本初の写真館を開いた男

長崎で「幕末スター」を軒並み撮影した男 四国高知の桂浜に建てられた、太平洋を見つめている坂本竜馬の像は、彼の生前の写真を参考に作られたものだと作られたものだと言われています。そんな風に幕末の志士たちの写真はかなり残されていますが、それを撮影…

家康は関ケ原他の戦いの戦前の準備に貢献した武将に恩賞を与えた

関ケ原 徳川家康本陣跡 家康は豊臣方の武将を味方につけるきっかけを作った福島正則を高く評価 東軍の勝利に終わった関ケ原の戦いの後、総大将・徳川家康による東軍の武将に対する論功行賞が開催された。論功行賞とは、戦に参加した武将らがどのくらい戦功が…

攻略困難な四国の土地を同盟力で支配した長宗我部元親の魅力

長宗我部元親初陣の像 姫若子と揶揄された長宗我部元親の本来の性格 長宗我部元親と言えば、戦国時代の四国を統一した四国の覇者となった武将です。そんな元親は幼少期、周囲から妙な印象を持たれていました。そのあだ名は“姫若子”。出典は土佐物語によると…

財政難に悩まされ続けた直江兼続

豊臣に仕えるために軍費を徴収に力を入れた直江兼続 上杉家の執政として、有名な直江兼続。彼は、上杉家が豊臣家に奉仕する費用を稼ぐため、直江兼続は辣腕を振るい続けました。例えば、1597年、領内産の蝋や漆、桑などに直接課税をとることを推進しました。…

夫のために自ら命を絶ったとされる細川ガラシャだが、その夫婦仲は既に冷めきっていた?

献身的な妻だったとされる細川ガラシャの夫婦仲は・・・? 細川ガラシャという名前を聞いて、日本人と外国人との間に生まれた、いわゆるハ ーフだと思った人もいるかもしれません。 しかし、ガラシャは洗礼名。ガラシャは、織田信長の部将 ・明智光秀の娘で…

武士の戦いを決定的に終わらせた彰義隊の籠城戦

寛永寺 富山藩邸に立てこもった彰義隊をアームストロング砲が襲う 寛永寺に籠り、明治政府軍と戦った旧幕府の彰義隊およそ3,000人に富山藩邸に据えられた最新鋭のアームストロング砲二門が火を噴いた。 富山藩邸は今の東京大学附属病院付近にあり、不忍池を…

平将門の乱以来の大規模な反乱・首謀者・平忠常の意外な敗因。

平忠常の像 平忠常の乱により暴走三カ国が壊滅 武士が産声を上げた時代の関東では武士による反乱が相次ぎました。その筆頭は、中学の教科書にも登場した平将門の乱ですね。京都の天皇に対抗し、自らを「新王」と称した平将門。 平将門の乱に比べてしまうと、…

江戸時代の文化、吉原遊廓の一日に思いをはせる

江戸時代の一大文化形成、吉原遊廓 売春防止法が完全に施行されて60年以上。つまり、吉原遊郭の歴史が閉じて、それだけ時間が経っているわけです。 そこで、往時を忍び、江戸時代の吉原を一日を追ってみました。まず、その前に、簡単に吉原の歴史を振り返っ…

毛利元就、お金の工面に苦労しすぎて、贅沢ができなかった中国地方の覇王

※ 吉田郡山城跡の毛利元就墓所 毛利元就の埋蔵金伝説 以前、衆院選では民進党から希望の党に多くの議員が移っていきましたが、民進党が得ていた政党交付金や寄付金ってどうなってしまったんでしょうかね?そのまま死蔵?? そんな感じで自分に関係のないお金…

江戸時代の生粋の天才画家、伊藤若冲の半生

動植綵絵 江戸時代を代表する画家は青果問屋の跡取り 『千載具眼の徒を待つ』 『千年後には私の作品を評価する人が現れるだろう』という意味ですね。そう言い残したのは江戸時代の天才画家・伊藤若冲は西暦2000年、没後200年後を記念した展覧会が開かれ、一…

応仁の乱が終わっても日明貿易の利権を巡って争った大内義興と細川高国

日明貿易の覇権を争って応仁の乱が泥沼化 応仁の乱(1467~1477)は京都の上御霊社(京都上京区)において、山名宗全派の畠山義就と、細川勝元派の畠山政長が軍事衝突したことで幕が開けました。 1467年正月18日、政長が義就の軍勢に敗れ、勝元の邸に逃げ込んだ後…

幕臣らも大慌て徳川吉宗の隠し子騒動、天一坊事件

徳川吉宗の隠し子騒動 島原の乱の首謀者らが天草四郎を豊臣秀頼の落胤に仕立て上げ、豊臣遺臣らを糾合した可能性があった。 日本史上、貴人の落胤。名乗る詐称事件はいくつか起きてます。しかし、最も有名なのが江戸幕府八代将軍徳川吉宗の隠し子と名乗り、…

酒豪・上杉謙信の懐事情

馬に乗りながら酒を呑む謙信はどこから酒代を調達したか? 越後の竜と呼ばれた戦国大名・上杉謙信は日常浴びるほどの酒を飲んだと言われています。(あんまりイメージにはなかったんですが。) 謙信は、戦場でも馬に跨ったまま「馬上杯」で飲み、平和なときは…

秀吉と朝鮮王国に振り回されてしまった対馬藩初代藩主・宗義智

秀吉の無茶振りに義智がとった行動は? 今日は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の後、こじれた日朝関係を修復させた対馬の島主(初代対馬藩主)が主役。その名を宗義智という。 ユネスコ(国連・教育科学文化機関)は2017年10月に世界記憶遺産に「朝鮮通信使に関する記…

なんとしてでも軍事費を集めたい戦国武将の資金集め術

小田原城 戦国武将の懐事情 2014年に消費税率が8%に増税され、今年の10月にはさらに10%え引き上げられますね。小田原城を拠点に伊豆、相模、武蔵を治めた戦国大名の北条氏康が、もし領民に通達を出したとしたら、さしずめ、「1550年4月1日をもって、消費…

賤ヶ岳の戦いで七本槍の称号を福島正則に取られた男

賤ヶ岳の七本槍にまつわる史料が点でバラバラ 信長が本能寺の変で急死し、清洲会談を経て、柴田勝家と羽柴秀吉が天下の覇権をかけて争った賤ケ岳の戦い。羽柴秀吉の天下を決定付けた戦でもあります。 この賤ヶ岳の戦いには、この戦で武功を立て、秀吉に讃え…

藩主に就いたときにはボロボロの財政状況。ケネディ大統領も尊敬した上杉鷹山の倹約っぷり。

上杉神社に上杉鷹山の名言「なせば成る、なさねば成らぬ」 上杉鷹山が藩主になるまでのボロボロ財政の米沢藩 『なせば成る、なさねば成らぬ、何事も、成らぬは人のなさぬなりけり』強い意志を持てば、どんなことも必ず成就する、という意味で名言を残した、…

武士の起源は田堵と呼ばれた奈良時代の富裕農民層

奈良時代、武士が誕生した起源となった富裕農民 日本と言えば、「サムライ」の国。それでは「サムライ」、つまり、「武士」はいかに誕生したのでしょうか。武士の成り立ちには、いくつかのパターンがあったことが指摘されているが最もオーソドックスな誕生の…

明智光秀が寺院の既得権にメスを入れ、室町幕府を退職

明智光秀由縁の東寺 寺院の既得権にメスを入れた光秀 1569年1月の本圀寺の変で時の将軍・足利義昭を護衛し、奮戦していた明智光秀。このこほ、光秀は義昭の家臣と織田家の家臣という二足の草鞋を履いていていました。 このとき、光秀は義昭側から山城国下久…

天皇の居住地御所の警備に就いた室町時代の武家・斯波家

斯波義将『武家百人一首』より 室町時代の名門武家・斯波氏 古代から中世にかけて、御所を警備する衛門府のトップは名誉ある官職とされ、武門でもなかなかありつくことはありませんでした。ところが斯波義将という室町時代初めの武将が、この官職を賜ったこ…

徳川家の先鋒が江戸攻撃の皮肉!!井伊家を襲った幕末の悲劇。

冬景色の彦根城を見てきました 江戸幕府の譜代の先鋒・彦根藩・井伊家 江戸時代、『譜代の先鋒』は井伊家、『外様の先鋒』は藤堂家と決まっており、それを象徴とする出来事が大阪夏の陣でした。 京都を出発した徳川家康と秀忠父子は河内に入り、東高野街道を…

軍神の再来として称えられ、武田軍を支えた山本勘助という軍師

戦国時代の初めての軍師・武田軍軍師/山本勘助が信玄に登用されるまで 軍師といえば、豊臣軍の軍師・竹中半兵衛や黒田官兵衛が取り沙汰されますが、武田信玄の軍師である山本勘助という男も忘れてはなりません。軍記物の『甲陽軍艦』に登場する武田信玄の軍…

居合抜きの達人・井伊直弼は手も足も出せずに暗殺された桜田門外の変

桜田門外の変に関する疑問 江戸幕府の大老井伊直弼が登城の途中に襲われ、殺害された桜田門外の変。 安政の大獄を断行し、ある意味、恐怖政治を貫いていた当事者が、いとも簡単に殺害されたことによって、幕府恐るるに足らずというムードが尊王攘夷の中に広…

家康の正室・築山殿の悲劇性

悲劇の今川の姫、家康の姉さん女房、性悪女、築山殿の半生 NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で、女優の菜々緒が新たな築山殿を演じています。 「生まれながら性格悪く、今日は朝箱嫉妬深い御人」と、江戸時代の史料で酷評されている徳川家康の正室です。 家…

江戸幕府を陰で支えた伊賀者の頭領の服部半蔵の正体

伊賀忍者をまとめ上げた服部半蔵 江戸幕府設立当時を陰で支え続けた忍者たち。その謎めいた忍者集団を率いていたリーダーの名前は服部半蔵という世襲制。今回はこの伊賀忍者の棟梁について焦点を当ててみました。 まずは伊賀忍者とはどういう存在だったのか…

戦国時代最弱?小田氏治の城奪還人生

信長とは対照的な戦国時代のもう一人の“おだ” 戦国武将で“おだ”と言えば、織田信長と答える人が99%以上と思うところ、今日はぜひとも紹介したい“おだ”と呼ばれる戦国武将が一人います。常陸国小田城(つくば市)の城主、小田氏治です。以前NHK『歴史秘話…

本能寺の変で森蘭丸が「明智の手の者です」という発言が語る本能寺の変の謎

明智光秀には惟任という名字があった 明智光秀に関して、一つ分からないことがあります。なぜ明智光秀という名前なのかということです。というのも、明智光秀は本能寺の変が起こる7年前に「惟任(これとう)」という姓をもらっています。明智光秀ではなくて…

聖徳太子、地味な兄が後の権力者によって聖人化

※厩戸皇子が建立した法隆寺 歴史の教科書から消えた聖徳太子 『和をもって貴しとなす』有名な十七条憲法の第一条には、そう書かれています。和を重んじる日本人の精神が凝縮された一言で、多くの日本人は推古天皇12年、聖徳太子が朝廷の官僚や豪族らに守る…