藩主に就いたときにはボロボロの財政状況。ケネディ大統領も尊敬した上杉鷹山の倹約っぷり。

上杉神社に上杉鷹山の名言「なせば成る、なさねば成らぬ」 上杉鷹山が藩主になるまでのボロボロ財政の米沢藩 『なせば成る、なさねば成らぬ、何事も、成らぬは人のなさぬなりけり』強い意志を持てば、どんなことも必ず成就する、という意味で名言を残した、…

武士の起源は田堵と呼ばれた奈良時代の富裕農民層

奈良時代、武士が誕生した起源となった富裕農民 日本と言えば、「サムライ」の国。それでは「サムライ」、つまり、「武士」はいかに誕生したのでしょうか。武士の成り立ちには、いくつかのパターンがあったことが指摘されているが最もオーソドックスな誕生の…

明智光秀が寺院の既得権にメスを入れ、室町幕府を退職

明智光秀由縁の東寺 寺院の既得権にメスを入れた光秀 1569年1月の本圀寺の変で時の将軍・足利義昭を護衛し、奮戦していた明智光秀。このこほ、光秀は義昭の家臣と織田家の家臣という二足の草鞋を履いていていました。 このとき、光秀は義昭側から山城国下久…

天皇の居住地御所の警備に就いた室町時代の武家・斯波家

斯波義将『武家百人一首』より 室町時代の名門武家・斯波氏 古代から中世にかけて、御所を警備する衛門府のトップは名誉ある官職とされ、武門でもなかなかありつくことはありませんでした。ところが斯波義将という室町時代初めの武将が、この官職を賜ったこ…

徳川家の先鋒が江戸攻撃の皮肉!!井伊家を襲った幕末の悲劇。

冬景色の彦根城を見てきました 江戸幕府の譜代の先鋒・彦根藩・井伊家 江戸時代、『譜代の先鋒』は井伊家、『外様の先鋒』は藤堂家と決まっており、それを象徴とする出来事が大阪夏の陣でした。 京都を出発した徳川家康と秀忠父子は河内に入り、東高野街道を…

軍神の再来として称えられ、武田軍を支えた山本勘助という軍師

戦国時代の初めての軍師・武田軍軍師/山本勘助が信玄に登用されるまで 軍師といえば、豊臣軍の軍師・竹中半兵衛や黒田官兵衛が取り沙汰されますが、武田信玄の軍師である山本勘助という男も忘れてはなりません。軍記物の『甲陽軍艦』に登場する武田信玄の軍…

居合抜きの達人・井伊直弼は手も足も出せずに暗殺された桜田門外の変

桜田門外の変に関する疑問 江戸幕府の大老井伊直弼が登城の途中に襲われ、殺害された桜田門外の変。 安政の大獄を断行し、ある意味、恐怖政治を貫いていた当事者が、いとも簡単に殺害されたことによって、幕府恐るるに足らずというムードが尊王攘夷の中に広…

家康の正室・築山殿の悲劇性

悲劇の今川の姫、家康の姉さん女房、性悪女、築山殿の半生 NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で、女優の菜々緒が新たな築山殿を演じています。 「生まれながら性格悪く、今日は朝箱嫉妬深い御人」と、江戸時代の史料で酷評されている徳川家康の正室です。 家…

江戸幕府を陰で支えた伊賀者の頭領の服部半蔵の正体

伊賀忍者をまとめ上げた服部半蔵 江戸幕府設立当時を陰で支え続けた忍者たち。その謎めいた忍者集団を率いていたリーダーの名前は服部半蔵という世襲制。今回はこの伊賀忍者の棟梁について焦点を当ててみました。 まずは伊賀忍者とはどういう存在だったのか…

戦国時代最弱?小田氏治の城奪還人生

信長とは対照的な戦国時代のもう一人の“おだ” 戦国武将で“おだ”と言えば、織田信長と答える人が99%以上と思うところ、今日はぜひとも紹介したい“おだ”と呼ばれる戦国武将が一人います。常陸国小田城(つくば市)の城主、小田氏治です。以前NHK『歴史秘話…

本能寺の変で森蘭丸が「明智の手の者です」という発言が語る本能寺の変の謎

明智光秀には惟任という名字があった 明智光秀に関して、一つ分からないことがあります。なぜ明智光秀という名前なのかということです。というのも、明智光秀は本能寺の変が起こる7年前に「惟任(これとう)」という姓をもらっています。明智光秀ではなくて…

聖徳太子、地味な兄が後の権力者によって聖人化

※厩戸皇子が建立した法隆寺 歴史の教科書から消えた聖徳太子 『和をもって貴しとなす』有名な十七条憲法の第一条には、そう書かれています。和を重んじる日本人の精神が凝縮された一言で、多くの日本人は推古天皇12年、聖徳太子が朝廷の官僚や豪族らに守る…

バーボンとウイスキー戦争と禁酒法〜カナディアンウイスキーの歴史の別れ目〜

※初代大統領ワシントンが西ペンシルベニアでのウィスキー税に対する反乱を抑圧するために向かうところ ウイスキー戦争がバーボンを生み出した アメリカン・ウイスキーは、18世紀初頭の「スコッチ・アイリッシュ(スコットランド系移民とアイルランド系移民)」…

斎藤道三の愛情が裏目に出てしまった息子・義龍による下克上

※斎藤道三・義龍親子の墓石が残る常在寺、今では横並びに墓石が並べられている 父子の間でも戦があった戦国時代 戦国時代、父と子が互いに戦い合うのは珍しいことではありませんでした。武田信玄は、父信虎を追放し、この義信を切腹に追い込んでいます。伊達…

ナポレオンが率いたフランス軍グラン・ダメルが強すぎた理由(3) ユース・バルジ現象とナポレオンのカリスマ性の正体

革命時期のユ ース ・バルジ現象 ナポレオン軍がなぜ強かったのか、人口統計学的にみて、30歳以下の若年人口の急増したことにあるという説があります。特に、革命や暴動が起こるなど、大きな社会変動はすべてこれ人口増加圧力 、とりわけ血気盛んな三十歳以…

蜂須賀小六は本当に盗賊だったのか?

※右下の少年が蜂須賀小六に楯突く藤吉郎(後の豊臣秀吉) 先祖が有名な大盗賊だった日本の文部大臣 第14大阿波の国徳島藩主蜂須賀茂韶は、廃藩置県後、イギリスのオックスフォード大学に留学し、その後、明治政府のフランス公使を務め、帰国後は東京府知事とな…

源義経が死なずにチンギスハーンになった説の由来

※衣川の義経邸 衣川で自害した義経の首は鎌倉へと 源頼朝の弟、義経は天才的な戦術家で、一ノ谷や屋島で奇襲戦を敢行して平家の大軍を破り、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした立役者です。後白河法皇は一ノ谷の功績を称え、義経に検非違使・左衛門小尉の官職を与…

ナポレオンが率いたフランス軍グラン・ダメルが強すぎた理由(2)砲兵のありかたを変えた一人の男の存在

フランス陸軍の砲兵を変えた一人の男 この野戦砲の改良に与かつて力あったのが、フランス陸軍の砲兵技師ジャン=バチスト・ヴァケット・グリボーヴァルでした。グリボーヴァルは、砲身の仰角を正確に定めるためのネジ式装置と、照準器の位置を動かせるように…

ナポレオンが率いたフランス軍グラン・ダメルが強すぎた理由(1)

七年戦争の大敗からフランス陸軍の大改革 ナポレオンが率いるフランス大陸軍グラン・ダルメはどうしてあんなに強かったんやろうか、あるいはナポレオン帝国があんなに広大なものになったんかっていうのは、実は謎が多い。まだまだ謎が多いってことは、歴史家…

島原の乱に養子とともに出陣し、散々な目に遭っていた宮本武蔵

宮本武蔵無敗伝説は誰が残したのか 熊本市の金峰山山麓にある霊巌洞。宮本武蔵は晩年の5年間をこの洞窟にこもり、兵法書『五輪書』を著したと言われています。 二天一流の開祖として名高い宮本武蔵は、晩年を熊本で過ごしました。熊本城主・細川忠利に客分…

織田信長は、領土の民を豊かにするため寺社の既得損益に抗った

信長が寺社を迫害したのは一揆だけが理由ではない 織田信長は、比叡山の焼き討ちなど、寺社を迫害していたともよく言われていますが、必ずしも無差別に迫害していたわけではありません。戦国時代特有の経済的な理由に基づいて、彼ら寺社と戦っています。簡単…

関ヶ原の戦いの敗将・石田三成が経済で支えた秀吉の天下統一

天文学的な被害を防いだ三成の機転 1582年の本能寺の変で織田信長が討たれると、その仇の明智光秀を討った羽柴秀吉が天下統一のレースに名乗りを挙げ、翌年1583年に大坂を本拠に定めて城造りを始めました。言うまでもなく、秀吉の子飼い家臣・石田三成も大坂…

豊臣政権下で島津義久と義弘の最強兄弟が対立する

豊臣政権に翻弄され、最強の兄弟関係に微妙なズレが・・・ 豊臣秀吉の九州征伐で、豊臣政権家の支配下に入った島付。各地の大名と政権をつなぐパイプ役となる取り次ぎを、石田三成と細川幽齋が担当していました。とりわけ三成は島津家に大きな影響を与えたと…

義久が考案したという釣り野伏せを弟たちが用いた島津の最強伝説

関ヶ原の戦いの島津義弘陣跡 戦国最強と呼ばれた島津四兄弟 1582年、天下布武を目指した織田信長が本能寺の変に倒れ、信長を討った明智光秀を破った羽柴秀吉が天下をその手中に収めようとしていました。 その翌々年の1584年、台頭してきた肥前国の龍造寺氏を…

真田幸村の奮闘虚しく、大砲を前にして豊臣家があっさりと降伏してしまった大坂城冬の陣

豊臣恩顧の大名の減少で孤立化に焦った豊臣家 1603年、徳川家康は征夷大将軍に任命され江戸幕府を開きますが、将軍の座をわずか2年で退き、息子・秀忠にその座を譲りました。 これは明らかに、今後の政権は徳川家によって世襲していくことの意思表示でもあ…

日本国内の戦法で挑んだ朝鮮出兵、秀吉の死後即座に撤退した理由

* 日本国内の戦法で挑んだ朝鮮出兵 朝鮮出兵と言われる文禄慶長の役は、1592年と1598年と2度にわたって行われた。豊臣秀吉が主導する遠征軍と明及びその朝貢国である李氏朝鮮の軍との間で朝鮮半島を舞台に起こった国際戦争です。これは天下統一や大阪城の築…

竹中半兵衛が没後もその恩義を忘れなかった黒田家

半兵衛と官兵衛、対照的な性格だった2人の軍師 二兵衛と称された黒田官兵衛や竹中半兵衛。秀吉を支えた有能な軍師で、特に官兵衛に対しては彼がいなければ秀吉の天下獲りはなかったと言われるほど。ただ、この二人が同時に活躍したのは、官兵衛が信長に謁見…

戦後20年足らずで、日本が当時世界最速の新幹線を走らせることができた理由

戦後20年足らずで敗戦国日本に新幹線が開業された衝撃 日本の高度経済成長を象徴するものと言えば、新幹線やと思うのです。1964年の東京オリンピック開催の直前、東京〜大阪間に東海新幹線が開業しました。 東京〜大阪を4時間で結ぶ超高速鉄道は当時、世界…

圧倒的な戦力不足でも武田信玄と戦うしか選択肢が残されていなかった徳川家康

信玄の巧妙なる罠に見事に陥ってしまった徳川家臣団 武田信玄によって完膚なきまでに叩きのめされた三方ヶ原の戦いは、天下人・家康が敗軍の将となった唯一の戦です。1572年5月、将軍足利義昭は信玄に信長を討伐すべく御内書を送り、朝倉、浅井などの諸大名…

織田信長の戦国デビュー戦の桶狭間の戦いは、実際はかなり地味だった

劇的な通説とは違い実際は地味な戦だった 戦国時代のハイライトというと織田信長の登場でもあり、その華々しいデビューの舞台となった桶狭間の戦いを挙げる人も多いと思います。桶狭間の戦いは尾張へ侵攻してきた今川義元の4万人を超えるとも言われた大軍を…