源義経が死なずにチンギスハーンになった説の由来

※衣川の義経邸 衣川で自害した義経の首は鎌倉へと 源頼朝の弟、義経は天才的な戦術家で、一ノ谷や屋島で奇襲戦を敢行して平家の大軍を破り、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした立役者です。後白河法皇は一ノ谷の功績を称え、義経に検非違使・左衛門小尉の官職を与…

ナポレオンが率いたフランス軍グラン・ダメルが強すぎた理由(2)砲兵のありかたを変えた一人の男の存在

フランス陸軍の砲兵を変えた一人の男 この野戦砲の改良に与かつて力あったのが、フランス陸軍の砲兵技師ジャン=バチスト・ヴァケット・グリボーヴァルでした。グリボーヴァルは、砲身の仰角を正確に定めるためのネジ式装置と、照準器の位置を動かせるように…

ナポレオンが率いたフランス軍グラン・ダメルが強すぎた理由(1)

七年戦争の大敗からフランス陸軍の大改革 ナポレオンが率いるフランス大陸軍グラン・ダルメはどうしてあんなに強かったんやろうか、あるいはナポレオン帝国があんなに広大なものになったんかっていうのは、実は謎が多い。まだまだ謎が多いってことは、歴史家…

島原の乱に養子とともに出陣し、散々な目に遭っていた宮本武蔵

宮本武蔵無敗伝説は誰が残したのか 熊本市の金峰山山麓にある霊巌洞。宮本武蔵は晩年の5年間をこの洞窟にこもり、兵法書『五輪書』を著したと言われています。 二天一流の開祖として名高い宮本武蔵は、晩年を熊本で過ごしました。熊本城主・細川忠利に客分…

織田信長は、領土の民を豊かにするため寺社の既得損益に抗った

信長が寺社を迫害したのは一揆だけが理由ではない 織田信長は、比叡山の焼き討ちなど、寺社を迫害していたともよく言われていますが、必ずしも無差別に迫害していたわけではありません。戦国時代特有の経済的な理由に基づいて、彼ら寺社と戦っています。簡単…

関ヶ原の戦いの敗将・石田三成が経済で支えた秀吉の天下統一

天文学的な被害を防いだ三成の機転 1582年の本能寺の変で織田信長が討たれると、その仇の明智光秀を討った羽柴秀吉が天下統一のレースに名乗りを挙げ、翌年1583年に大坂を本拠に定めて城造りを始めました。言うまでもなく、秀吉の子飼い家臣・石田三成も大坂…

豊臣政権下で島津義久と義弘の最強兄弟が対立する

豊臣政権に翻弄され、最強の兄弟関係に微妙なズレが・・・ 豊臣秀吉の九州征伐で、豊臣政権家の支配下に入った島付。各地の大名と政権をつなぐパイプ役となる取り次ぎを、石田三成と細川幽齋が担当していました。とりわけ三成は島津家に大きな影響を与えたと…