聖徳太子、地味な兄が後の権力者によって聖人化

※厩戸皇子が建立した法隆寺 歴史の教科書から消えた聖徳太子 『和をもって貴しとなす』有名な十七条憲法の第一条には、そう書かれています。和を重んじる日本人の精神が凝縮された一言で、多くの日本人は推古天皇12年、聖徳太子が朝廷の官僚や豪族らに守る…

バーボンとウイスキー戦争と禁酒法〜カナディアンウイスキーの歴史の別れ目〜

※初代大統領ワシントンが西ペンシルベニアでのウィスキー税に対する反乱を抑圧するために向かうところ ウイスキー戦争がバーボンを生み出した アメリカン・ウイスキーは、18世紀初頭の「スコッチ・アイリッシュ(スコットランド系移民とアイルランド系移民)」…

斎藤道三の愛情が裏目に出てしまった息子・義龍による下克上

※斎藤道三・義龍親子の墓石が残る常在寺、今では横並びに墓石が並べられている 父子の間でも戦があった戦国時代 戦国時代、父と子が互いに戦い合うのは珍しいことではありませんでした。武田信玄は、父信虎を追放し、この義信を切腹に追い込んでいます。伊達…

ナポレオンが率いたフランス軍グラン・ダメルが強すぎた理由(3) ユース・バルジ現象とナポレオンのカリスマ性の正体

革命時期のユ ース ・バルジ現象 ナポレオン軍がなぜ強かったのか、人口統計学的にみて、30歳以下の若年人口の急増したことにあるという説があります。特に、革命や暴動が起こるなど、大きな社会変動はすべてこれ人口増加圧力 、とりわけ血気盛んな三十歳以…

蜂須賀小六は本当に盗賊だったのか?

※右下の少年が蜂須賀小六に楯突く藤吉郎(後の豊臣秀吉) 先祖が有名な大盗賊だった日本の文部大臣 第14大阿波の国徳島藩主蜂須賀茂韶は、廃藩置県後、イギリスのオックスフォード大学に留学し、その後、明治政府のフランス公使を務め、帰国後は東京府知事とな…

源義経が死なずにチンギスハーンになった説の由来

※衣川の義経邸 衣川で自害した義経の首は鎌倉へと 源頼朝の弟、義経は天才的な戦術家で、一ノ谷や屋島で奇襲戦を敢行して平家の大軍を破り、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした立役者です。後白河法皇は一ノ谷の功績を称え、義経に検非違使・左衛門小尉の官職を与…

ナポレオンが率いたフランス軍グラン・ダメルが強すぎた理由(2)砲兵のありかたを変えた一人の男の存在

フランス陸軍の砲兵を変えた一人の男 この野戦砲の改良に与かつて力あったのが、フランス陸軍の砲兵技師ジャン=バチスト・ヴァケット・グリボーヴァルでした。グリボーヴァルは、砲身の仰角を正確に定めるためのネジ式装置と、照準器の位置を動かせるように…