推古天皇の裏の顔!?蘇我馬子と共謀し崇峻天皇を暗殺事件の裏側

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蘇我馬子の墓と言われている石舞台古墳Wikipedia石舞台古墳』より

前代未聞の大事件女帝推古天皇の裏の顔とは

日本の天皇家は、神代から脈々と続いてきたとされていますよね。その長く膨大な歴史の中には、時代に恵まれず、悲劇的にも自分の家臣に暗殺されてしまった天皇がいました。587年、用明天皇の次に即位した第32代天皇崇峻天皇です。在位期間は5年程度でした。


日本の長い歴史上はっきり記されている家臣による天皇暗殺事件は、崇峻天皇暗殺事件以外には記されていません。崇峻天皇の暗殺事件は、それだけ重大な前代未聞の大事件になります。

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ジェームズ・ボンドを輩出したイギリスに女スパイとして侵入した日本人女性がいた


鹿児島県がイギリスと戦争する

今では考えられないことですが、幕末には薩摩藩とイギリス艦隊による戦争・薩英戦争が勃発しました。

この戦争のきっかけになったのは、1862年に起こった生麦事件です。その時、薩摩藩の指導者・島津久光は、江戸から京都に戻ろうとしていました。その途中、神奈川県の生麦村に差し掛かったところで、4人のイギリス人が騎乗のまま列を横切ったため、藩士が激怒。1人を惨殺し、2人に重傷を負わせたのです。


イギリス側は近代的武器を装備していたため、当初は薩摩藩の苦戦は必至と思われたところ、薩摩藩が意外にもめちゃくちゃに強かったのです。

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伊達政宗が帝国スペインと組んで幕府を転覆させるクーデターを計画していた?

天下を諦めきれなかった伊達政宗

伊達政宗が軍事同盟を結ぶためにスペインに接触していた!?

独眼竜の異名を持つ戦国武将・伊達政宗政宗は、幼少期に天然痘を患ったせいで右目を失ってしまいましたが、隻眼のハンデをものともせず、伊達氏を名家に成長させた反骨の名将です。


その政宗をめぐって、大きな疑惑が囁かれています。江戸幕府ができたばかりの頃、政宗はスペインと軍事同盟を結んで、討幕を計画していたのではないかという疑惑です。


関ケ原の戦い徳川家康が完全勝利し、江戸幕府が開かれたことで、政宗の天下取りの野望は完全についえてしまったかのように思えましたが、徳川時代になったとしても、政宗は天下人への野望を捨て、ひそかに幕府の転覆を狙っていたという説があるのです。

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平安時代の悪循環を改革しようとして有力貴族に失脚させられた菅原道真

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朝廷でも無実が証明された後、大宰府天満宮で「学問の神様」・「至誠の神様」として現代に至るまで永く人々の信仰を集める。

名家の出身ではないからこそ大改革の責任者に抜擢された菅原道真

平安時代の悲劇の人と言えば、菅原道真だと思うのです。平安時代で活躍した人物と言えば、菅原道真を挙げる人は多いかもしれません。菅原道真と言えば、学問の神として親しまれている平安時代を代表する人物です。

菅原道真は貴族の家で生まれていますが、意外にも名家の出身ではありませんでした。当時は一部の貴族だけが裕福な生活をしていましたが、菅原氏は、貴族としては地位の低い家柄でした。

菅原道真はこの時代には珍しく自分の実力の身で成り上がった人物であり、学問の神と言われる理由の一つとして、230年間でわずか65人しか合格者がいなかったという最高国家試験「文章得業生」に若くして合格しました。まさに天皇が可愛がるほどの秀才ぶりを発揮しました。

文章得業生の合格後、讃岐守(現在の香川県の知事みたいなもの)の重要ポストに就き、当時の宇多天皇の信頼を得ました。899年には、右大臣、今でいうと首相のような地位までに上り詰めました。

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2018年大河ドラマの主役・西郷隆盛。維新達成後の苦悩


西郷隆盛とその将兵たち、西南戦争にて(ル・モンド(Illustré)の速報記事)

維新後の敵は!?征韓論を巡って明治政府が分裂

薩摩藩の下級武士から討幕勢力の中核となり、江戸城無血開城を実現した西郷隆盛は「維新の三傑」に数えられる人物です。戊辰戦争を指導し、その終結を見届けた後は鹿児島に戻り、もっぱら藩政改革に従事しました。国政からは一歩引いた立場を取っていました。


しかし、ほどなく盟友であった大久保利通岩倉具視の出仕要請を受けて上京し、明治政府に参画しました。明治4年11月、岩倉使節団の海外派遣で大久保や木戸孝允らが不在になると、留守政府の筆頭参議として中央政権を主導する立場になりました。

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南蛮貿易とキリスト教の布教は表裏一体の関係性

ザビエル会見の地(一宇治城)
※ザビエル会見の地(一宇治城)

戦国経済に大きな影響を与えた南蛮貿易

日本が戦国時代を迎えていた頃、遠くのヨーロッパでは、スペインとポルトガルが、香辛料や金銀財宝を求めて世界中の海に乗り出しました。

いわば大航海時代の始まりです。

ポルトガルはアジアにも食指を動かしており、遠く日本とも交易を持とうとしました。日本で言うところの南蛮貿易ですね。

南蛮貿易は、当時の日本に多くの軍需物資をもたらし、戦国の趨勢に大きな影響与えました。

後世の我々には南蛮船対して、ヨーロッパからはるばるやってくるのだから、貴重品や珍品を細々と運んでいたに過ぎないだろうと言うイメージを持ちがちですが戦国時代の南蛮貿易は我々が思っている以上にダイナミックに行われており、当時の日本の経済の一角を占めていたのでした。

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ルイ十六世の死刑を執行したシャルル-アンリ・サンソンの苦悩

ルイ十六世の首を持ったシャルル-アンリ・サンソン

ルイ十六世の死刑を執行した呪われた一族

ルイ十六世の死刑を執行したのは、シャルル-アンリ・サンソンとい男でした。彼の出身であるサンソン家は、代々世襲製でパリの死刑執行人を務めてきた家系で、シャルル‐アンリはサンソン家の四代目当主でした。


処刑人一族であったサンソン家は、人々に忌み嫌われ、蔑まれ、差別の対象でした。街で処刑人を見かけると、人々は目を背け、身体が接触しないように身をかわしていました。死刑制度が存続する限り、誰かが刑を執行しなければなりません。死刑制度に賛成する人たちにとっては、死刑執行人は自分の考えを実行に移してくれている人達です。死刑判決に喝采する人が判決を執行する人に目を背けるというのは、ずいぶんと身勝手なことですけどね。


世間からのけ者にされてはいましたが、医者を副業にしていたこともあって、サンソン家は経済的にはかなり裕福で、広壮なお屋敷に住み、貴族並みの暮らしをしていました。

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